グレーヘアも美容医療も私らしく
ミドルエイジ、変わる体に向き合う
Special メイク ヘア ビューティー マインド キャリア
[ 21.11.01 ]
昭和に育ち、男女雇用機会均等法の号砲で平成を走り抜けた、40代、50代のAging Gracefully (AG) 世代。一人ひとりの色とりどりの人生が、社会を少しずつ前へ前へと進めていきました。
AG世代をフィーチャーした、朝日新聞デジタルの2021年10月の特集記事を紹介します。今回は、年齢を重ねることに伴う、体の変化について。
美容医療を試す人も増え、以前ほどハードルは高くなくなっています。
アートメイクを施した保育園経営の女性は「自分らしく働くためのセルフケア」と言います。一方、俳優の手塚理美さんは髪の色の変化そのものを楽しもうと、3年かけてグレーヘアにしたそうです。みなさんは自身の変化にどう向き合っていますか?
眉をアートメイク、働くためのケア
タワーマンションが林立する川崎市の武蔵小杉地区。子育て中の共働き世帯も多い街の一角に、イタリア発祥の「モンテッソーリ教育」を実践する保育園があります。
1995年開園の「マミークラブ小杉」で、5階建ての耐震ビルは約100人の歓声でにぎやか。「『我が子を安心して預けられ、自分は社会に認められる働き方を』と願う、かつての私のようなお母さんたちを応援したいんです」。竹歳百合子園長(60)は、よどみなく説明します。
きれいに整った眉と目元を際立たせるアイラインは、美容医療「アートメイク」です。染料をつけた針を皮膚に刺して描かれているため、汗や洗顔でも消えません。
2年前に眉毛の中に白髪を見つけてから、婦人病で通う女性医療クリニックで施術してもらっているとのこと。数カ月ごとにエイジングケアの注射をしに、別の美容外科にもかかっています。こちらは長女(27)に背中を押されて、通うようになったそうです。
美容医療を受けた理由について、「未来を担う子どもと親御さんに向き合い、ご家庭を支えるのが仕事。品位ある身だしなみは礼儀」と話します。
二十数年前、当時ゼロ歳の長女を迎えに行った保育園の食事風景が、人生の転機になりました。「スタッフが片手にカップを三つも持ち、壁にもたれた娘たち3人の口に代わる代わるスプーンを入れてたんです。まるで『ひな鳥のエサやり』で、私だけのんびり働いていいのかと自責の念に駆られました」
もっと質の良い保育を受けさせたい――。その後に生まれた息子も含めて選んだ幼稚園がモンテッソーリ教育でした。その子の自主性を重んじ、興味あることに集中させて力を伸ばすメソッドに共感して専門機関で国際学位を取得、「就学前に触れさせたい」と川崎市内に40人規模の保育園を設立しました。2年後には市の認定園に。
計2園を営む企業のトップとして地元経済界や行政との付き合いも多い。「美容医療は自分らしく働くためのセルフケア。美の追求や華やかさとは違う『自己表現』こそ、成熟した女性たちに必要だと思います」
整形は「自分のため」、手術のハードル低下
関西大・谷本奈穂教授
美容整形を望む理由については、「コンプレックスがあるから」「異性にもてたいから」といったイメージが根強くあります。しかし実際、動機の主流は「自己満足」。18年前から計4回アンケートし、全てこれが最多でした。
ミドルエイジ以降はこの傾向がいっそう顕著です。夫や彼氏のためといった理由はほとんど聞きません。
シミが増えてきたからとったり、まぶたが下がってきて違和感があるから少し引き上げたり。中高年にとっても、整形のハードルは下がってきたといえます。
要因はいくつかあります。まず、メディアの影響。1990年代からミドルエイジ向けの雑誌が次々創刊され、広告や記事に整形が普通に登場するようになりました。
そして、医療の発達も大きい。メスを使わないレーザーなどの施術が増えました。かつては「プチ整形」と呼ばれ、今は「美容医療」と呼ばれます。
さらに、世代の傾向もあります。今の50代は、バブル期に女性の消費を促進してきました。さらに上の世代は「体は人工的に変えてはいけない」という意識が根強いかもしれませんが、自分の外見に関心を払ってお金を使うことに後ろめたさを感じなくていいという意識はあると思います。
整形をしたくてした結果、自己肯定感が上がる人は一定数います。一方、整形は医療行為であり、外見に関わる自己決定なので、リスクと責任はつきもの。事前によく調べてから決めることをおすすめします。
グレーヘア、還暦までの変化楽しむ
手塚理美さん
56歳のとき、 60歳に向けて3年越しで髪をグレーヘアにしようと決断しました。1年間、いろんな髪色を楽しみながら、理想の色に近づけて、そこから染めるのをやめました。いったん還暦までと決めていたので、今年6月に60歳の誕生日を迎えた後、今度はベージュピンクに。
今後も違う色にするかもしれませんし、再び染めずに白髪がさらにどうなっていくのか、見てみようとも思っています。
元々、若い頃から白髪に抵抗がなく、ナチュラルでいたいという思いが根底にありました。
年を重ねると白髪も増え、月1で染めていたのが月2回になり、そのストレスも感じていた頃、 「シルバーヘア」を特集する本が出て。登場していた方たちがすごく素敵だったんですね。「あっ、これだ!」と。
それまで黒い髪を大事にしてきましたが、美容師さんと相談し、カラーを楽しむことから始めました。まず、短くカットした方が分け目の白髪が目立ちにくいこともあって、以前から憧れていたベリーショートに。
そしてブリーチして色を抜いた後、毎回、配合を変え、オレンジ色に近い明るいブラウンから落ち着いたブラウンへ。最終的にミルクティー色になるよう、もっていったんです。そこから染めるのをやめ、徐々に自然な形で黒い部分と白い部分が交ざっていったり、後頭部や襟足はあまり白髪にならなかったりする変化を楽しみました。
息子たちは30歳と26歳になり、いまは一人暮らし。2016年に所属事務所を吉本興業に移したのは、このまま役者の世界の中だけで変わらずにいていいのか、もっといろんなことを見てみたいし、違う空気を吸いたいと思ったからです。
「私はいま、これがしたい」と感じていることを大事にしたいですね。周りに左右されず、自分が好きで楽しめていたらいい。
私自身は50代でグレーヘアに挑戦しましたけど、たとえばアートメイクを楽しんでいる方は、それでいい。そのときどきの気持ちを大事にして、これからも年を重ねていけたらと思っています。