坂本真子の『音楽魂』
石原詢子さんインタビュー〈前編〉
家を出て一人で追いかけた歌手の夢
「帰る場所失い、スイッチが入った」
Special 音楽 ライフスタイル
[ 23.02.08 ]
最近、音楽を聴いていますか。
振り返れば、あなたにもきっと、歌やメロディーに励まされ、癒やされた思い出があるはず。40代、50代になっても、これからもずっと音楽と一緒に過ごせますように。
そんな願いを込めて、子どもの頃から合唱曲やロックを歌い、仕事でも関わってきたAging Gracefullyプロジェクトリーダーの坂本が、音楽の話をお届けします。
演歌歌手の石原詢子さんは、今年デビュー35周年を迎えます。4歳から詩吟を習い、「芸」の道を歩んで約50年。歌手を志して上京し、下積みの日々を経てNHK紅白歌合戦にも出場した石原さんが、長く歌い続けるために大切にしていることや日々の思いを聞きました。インタビュー前編では、歌の道について語ります。
石原さんは岐阜県池田町の出身で、1988年10月に歌手デビュー。94年「三日月情話」、95年「夕霧海峡」のヒットで注目されました。98年からはNHKのバラエティー番組「コメディーお江戸でござる」に準レギュラー出演。そして99年に発表した「みれん酒」がロングヒットになり、翌2000年、NHK紅白歌合戦に初出場しました。03年には「ふたり傘」で紅白歌合戦に出場しています。
「20歳でデビューして、土台作りをしていた20代は、忙しかったけれど時間の経過をすごくゆっくり感じていました。25周年の頃から時の流れるスピードが速くなって、もう35年も経ったのかという感じです」
石原さんは4歳から詩吟を始め、いま55歳。昨年は「芸道50年」の節目の年でした。詩吟の家元だった父親を「鬼のように厳しい人でした」と振り返ります。
「情熱的な人だったことと、私を日本一の吟詠家にさせたいという父の大きな夢があったんですね。私は、父の夢をかなえてあげたいという気持ちもありつつ、涙を流しながら特訓についていく感じでした」
父を説得して上京
毎年10月の大会をめざし、夏は朝4時半に起こされて近くの山にある神社の境内で発声練習。放課後も2~3時間は練習。父親の教室で、ほかの生徒さんの練習に参加することもよくありました。
「このままいったら私の自由な時間はなくなるんじゃないか、という不安をいつも感じていました。でも怖かったので反抗もできず、言われるがまま。将来はお父さんに言われた人と結婚しなきゃいけないんじゃないかと思うぐらいの、がんじがらめの生活は苦しかったですね」
一方で石原さんは10歳の頃、石川さゆりさんが歌う「津軽海峡冬景色」をテレビで見て、歌手になるという夢を抱きます。高校に進学する際に勇気を出して、「東京に行って歌の勉強をしたい」と父親に伝えますが、一笑に付されました。
「絶対に許してもらえないと思ったので、高校3年間でお金をためて、家出の計画を立てたんです。ただ、実際には『お父さんに顔向けできないようなことはしなさんな』と母に言われて、がんばって父を説得しました」
最終的に上京の許可が出ます。しかし、家や親類からの仕送りは一切なし。新聞配達で自活すること。そして毎日電話すること。この約束を守り、「2年やってみて、ダメだったら帰ってこい」という厳しい条件でした。
それでも当時は「家を出られるなら何でもOK」と思ったそうです。上京して四畳半一間のアパートに暮らし、歌のレッスンに通いました。新聞配達だけでは自活できず、ほかのアルバイトも掛け持ちしました。
「最近になって、父の厳しさはありがたいことだったと、わかってきました。住むところを与えられて仕送りもあるような環境だったら、今の私はなかったと思います。父を見返したくて、歌手になりたくて、自分の夢を追いかけました。頑固なのは父親譲り。デビューできる保証はなかったけれど、がんばれば道はひらけると信じていたんですね」
そんなある日、歌のレッスンに行くと、教室にレコード会社のディレクターが来ていました。たまたま石原さんと同じ岐阜県出身とわかり、「練習を聴かせて」と言われます。数日後、そのディレクターからレコード会社に呼ばれて、デビューが決まりました。
「本当に偶然でした。あの日、ディレクターさんと会わなかったら、デビューはなかったですね。故郷の岐阜を今も大事にしている理由の一つです。同郷の愛というんでしょうか」
石原さんは2007年から岐阜県の「飛騨・美濃観光大使」を務めています(第1号でした)。
「笑うと幸せが舞い込んでくる」
1995年に発売したシングル「夕霧海峡」が20万枚近いヒットになった石原さんですが、同じ年、相次いで両親を亡くしました。シングル発売の前後2週間ほどの間の出来事でした。両親との別れが歌手としての大きな転換点になったと、今、石原さんは振り返ります。
「もう帰るところがなくなってしまった、と思ったら、私の中でスイッチが入ったというか……」
デビューから数年、石原さんはなかなかヒット曲に恵まれませんでした。全国のカラオケスナックや喫茶店を回って歌い、カセットテープやCDを自ら売って歩く日々。一日に10軒近く回ることもありました。
「絶対に帰るものか、という気持ちはあったものの、なかなかうだつが上がらない。このままやっていて私の将来はひらけるのかな、と不安になるときがあって、でも、ダメだったら親元に帰れば父が待っている、という甘えがあったんですね。両親を亡くして帰る場所を失ったときに、この世界で絶対に生きていくしかないとスイッチが入りました。覚悟を決めたことで気持ちも変わりました。これは大きかったと思います」
それまではネガティブに考えることが多かったそうですが、これも変わりました。
「以前は『明日こそやめる』と言ったり、『もう歌いたくない』と言ったりしていたけれど、もう弱音なんか言っていられないと。前向きに、とにかく笑って、明るく楽しく仕事をしたい。そうしないとこの悲しみは乗り越えられない。そう考えるようになったんです」
そして、96年の「桟橋」、97年の「手鏡」、98年の「人恋しぐれ」、99年の「みれん酒」と、シングルヒットが続きます。97、98年度にはNHKの音楽番組「どんとこい民謡」で司会を務めるなど、テレビ出演の機会も増えました。
「売れることの喜びを感じられるようになったら、気持ちも前向きになっていったんです。ちゃんとしたコンサートや紅白歌合戦で歌う姿を両親に見せられなかったのはすごく残念ですけど、私が前向きに生きていくための何かを置いていってくれたんじゃないかと、今は思います」
今も日々、笑って過ごすことを心がけています。
「笑わないと福はやってこないけれど、笑っていれば必ず幸せが舞い込んでくると思っています。もちろん、落ち込むこともあるし、よく泣きましたけど、あのときの悲しみを考えれば……」。そう言って石原さんはさわやかな笑顔を見せました。
50歳で詩吟の流派を
2018年、石原さんは「詩吟揖水流詢風会」(いすいりゅうじゅんぷうかい)を設立しました。
「父は、私を日本一の吟詠家にすることと、自分がつくった揖水流という流派を私が継いで大きくすることが望みだったんですね。でも私は歌手をめざして上京してしまい、父の夢は絶たれてしまったわけですが、亡くなる少し前、体調を崩した父が『お前に継いでもらいたかった。50歳になったら揖水流をもう一度、復活させてほしい』と言われて、ちょっとかわいそうになって……」
当時、石原さんは20代半ば。50歳は遠い先の話で、「軽い気持ちで約束してしまったんです」。
そして実際に50歳になったとき、約束を思い出しました。
「私自身、まさか35年間も歌えるなんて想像していませんでしたけど、事務所の社長に『日本の伝統芸能だし、ジャンルが全然違うわけでもないから、やれる範囲でやってみたら?』と背中を押されて、決めました。指導者は私一人なので、大きくするのはまだまだずっと先の話ですが、丁寧にコツコツとやらせていただいています」
現在は「健康クラス」「上達クラス」「育成クラス」という3クラスを、東京と大阪で教えています。
「新しい自分を探していきたい」
2022年10月に出した配信シングル「予感」は、約30年前に一度レコーディングした曲。無償の愛をテーマに、少し懐かしく優しい雰囲気の歌謡曲です。
「当時、名古屋のNHKで情報ニュース番組のエンディングテーマに起用していただいて、アルバムに収録した曲です。私は大好きで、スタッフも『いい歌だね』と言っていたので、一昨年の秋、アコースティックライブで初めてお客様の前で歌ったんです。それが好評だったので、今回改めてシングルにしました」
今年1月12日の誕生日に開催したアコースティックライブでも「予感」を披露しました。このときは第1部を持ち歌の演歌などのオリジナル曲、第2部はデビュー前に影響を受けたという懐かしい歌謡曲などのカバーを中心に構成。最近は演歌以外のジャンルを歌う機会も増えています。
「幼い頃にテレビで見ていた『ザ・ベストテン』や『夜のヒットスタジオ』は、演歌もポップスも一緒でジャンル分けなんてなかったじゃないですか。そういう環境で育ったので私もいろんな音楽を聴いて、カントリーミュージックが好きでアメリカへ聴きに行ったこともありますし、ジャズも聴きます。これからも基本的な演歌という路線は崩しませんが、ジャンルにとらわれずいろいろな扉を開いて、新しい自分を探していきたいと思っています」
2022年10月21日、「デビュー35周年記念/芸道50年 ~ここから繫(つな)げる歌の道~ 石原詢子ディナーショー」で歌う石原さん=ソニー・ミュージックレーベルズ提供
取材&文=朝日新聞社 Aging Gracefullyプロジェクトリーダー 坂本真子
写真=伊ケ崎忍撮影
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◆デジタル配信シングル「予感」
発売元:(株)ソニー・ミュージックレーベルズ
https://www.sonymusic.co.jp/artist/JunkoIshihara/
◆石原詢子オフィシャルサイト https://junko-ishihara.com/
◆石原詢子オフィシャルブログ「詢子のひとりごと」 https://ameblo.jp/junko-i1021/
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