坂本真子の『音楽魂』
麻倉未稀さんインタビュー〈前編〉
歌うことが好き「ここが私の居場所」
洋楽のカバー曲、性格に合っていた?
Special 音楽 ライフスタイル
[ 23.04.12 ]
最近、音楽を聴いていますか。
振り返れば、あなたにもきっと、歌やメロディーに励まされ、癒やされた思い出があるはず。40代、50代になっても、これからもずっと音楽と一緒に過ごせますように。
そんな願いを込めて、子どもの頃から合唱曲やロックを歌い、仕事でも関わってきたAging Gracefullyプロジェクトリーダーの坂本が、音楽の話をお届けします。
麻倉未稀さんは歌手デビューして40年余り。これまでに歌った楽曲は約200曲に上ります。今年2月、その全ての曲がストリーミングサービスで聴けるようになりました。2017年に乳がんの手術を受けた後は、がん検診の受診率向上をめざす活動に力を注いでいます。そんな麻倉さんに、歌うことや年齢を重ねることへの思いを聞きました。インタビュー前編では、楽曲や歌うことについて語ります。
麻倉さんは1981年8月、シングル「ミスティ・トワイライト」で歌手デビューしました。それから40年以上の間に歌ってきた全200曲が現在、配信されています。
「40年はあっという間でしたし、200曲も歌っていたんですね。すごく長い時間、歌ってきたんだな、と改めて思いました」
その中で特に印象に残る3曲を挙げていただきました。
1曲目はデビュー曲の「ミスティ・トワイライト」。「今も変わらず歌える曲で、デビュー曲には恵まれていたと思います」と振り返りました。
2曲目は1984年9月に発売した10曲目のシングル曲「リメンバー・ターン」。
「ミュージックビデオを撮る際に神奈川県民ホールの噴水を使ったんですが、台風の後で風が強くて、噴水の水をガンガン浴びたんです。『リメンバー・ターン』はそういうイメージの曲ではないんですけど、そのときの噴水が印象に残っています。作詞家の松井五郎先生が書いてくださったとても素敵な詞で、隠れファンが多い曲です」
3曲目は1986年12月に発売した10枚目のアルバム「BY MYSELF」に収録された「49%の関係」です。
「隠れファンが多くてびっくりしました。日本より海外で、シティー・ポップということからYouTubeで聴かれていて、アメリカやアジア圏の方から英語のコメントをたくさんいただいたんですね。日本語のメッセージはほとんどなくて、こういう曲を海外の方は好きなんだと知りました。CDになったかどうかも覚えていないぐらい昔の曲で、それがどういう経緯で広がっていったのか……。40周年記念アルバムをレコーディングしたときに、ディレクターがチェックして『配信しましょう』という話になって、それが今回の全曲配信に至ったんです。そういう意味でも心に残る曲になりました」
全曲配信にあたり、改めて思い出した曲も多いそうです。
「私自身も、どんな曲があったか、忘れていることがたくさんあって、今回改めて聴いて『こんな曲があった』『私が作詞した曲だ』『あのときは戦っていた』などと思い出しました。コンサートで歌う曲は結構決まっているので、それは覚えているんですけど、ほかにも『いい曲だと思っていたけど、そういえば歌っていない』という作品が結構あって、この先歌える曲がたくさんあることも配信のおかげでわかりました」
「今、1枚ずつアルバムを聴いています。あのときはこうやって歌っていたけど、今だったらもうちょっと違う歌い方ができるんじゃないかな、と思う曲もあります。例えば、最初のアルバムに収録されている『今夜だけ恋人』は、21歳だった当時と今とは全然感じ方が違うと思うので、今歌ったらどうなるのか、興味があります」
子どもの頃から聴いていた
2022年7月、麻倉さんはデビュー40周年記念アルバム「人生はドラマ これからも続く私のヒーロー物語」を発表しました。これまでに歌ったドラマの主題歌を中心に収録したアルバムです。
「私がつけたタイトルではないんですけれども、確かに人生には本当にいろんなドラマがあるので、すごくいいなと思いました。私自身もとても元気だったけれども、病気をして、そこから今後どうやって活動していくかを決めて、今は本当に二足のわらじみたいに、本業とちょっと違うことをやっています。40年前は、自分がチャリティーコンサートを開くとは思ってもいなかったですし、人間は何がきっかけでどうなるかわからない、本当にドラマだな、という思いが、私の今の気持ちとぴったり重なります」
麻倉未稀40周年記念アルバム「人生はドラマ これからも続く私のヒーロー物語」のジャケット写真=キングレコード提供
ドラマの主題歌を含め、洋楽のカバー曲を麻倉さんはたくさん歌ってきました。例えば、「WHAT A FEELING〜フラッシュダンス」(1983年)、「ヒーロー HOLDING OUT FOR A HERO」(84年)、「RUNAWAY」(85年)などをシングル曲として発表。オリジナルが世界的に大ヒットした作品を日本語詞で歌うことを、どう感じていたのでしょうか。
「難しいですよ。どうしてもオリジナルのイメージがあるので。でも当時、私なりの歌い方でいいんじゃないかと周りに言われて、それならと思って私なりに歌わせていただきました。改めて今、よくこんなにたくさん洋楽のカバーを歌っていたと思いますね」
一方で、洋楽のカバー曲を歌うことは「私の性格に合っていたかもしれない」と麻倉さんは言います。子どもの頃、NHKの音楽番組「ステージ101」や「アンディ・ウィリアムス・ショー」をテレビで見ることが大好きでした。「アンディ・ウィリアムス・ショー」は米NBCテレビ制作の音楽番組で、1960年代に日本でも放送されていました。
「テレビを見ていて、私は外国の曲を好きになることが多かったんですね。そういう音楽が子どもの頃から自然に体に入っていたし、日本の曲と外国の曲を分けるようなこともありませんでした。歌手デビューしてから、『オリジナル曲を歌わないのか』と言われたこともありましたけど、私は、オリジナルだろうがなんだろうが歌は歌、と考えていたので」
あんみつを食べたくて
麻倉さんは中学2年の頃から歌を習い始めました。しかし当初、母親には大反対されたそうです。
「『スター誕生!』とか、当時は歌のオーディション番組がとても多くて、同じクラスの友達がオーディションを受けに行ったんですね。彼女は本当に歌がうまかったんですけど、私や友達は、帰りにあんみつを食べたいがために一緒についていって。あるとき、その彼女から『一人で受けるのは嫌だから一緒に受けない?』と言われたんです。ナベプロによるスクールメイツのオーディションでした。私は人前で歌ったことがなくて、友達と一緒ならいいや、と思って、何を歌ったのかもあまり覚えていないんですけど、受かったんです」
このときは母親の大反対で諦めましたが、これがきっかけで歌に興味を持った麻倉さんは、大阪にあった音楽院のオーディションをこっそり受けました。
「これも受かったんです。でも母がまた『お断りに行きます』と。やっぱりそう来るかと思ったんですけど、ちょうど月謝が1カ月無料で、『落ちた方もいらっしゃるから来ていただかないと困ります』と言われて、『1カ月だけ行かせます』と。1カ月後も私がやめなかったら、さすがの母も折れたんです」
麻倉さんは中学卒業後に上京。モデルだった姉の影響で、麻倉さん自身もモデルをやりながら、歌手デビューのチャンスをつかみました。
「THE夜もヒッパレ」で確信したこと
21歳で歌手デビューし、洋楽のカバー曲やテレビドラマの主題歌などのヒット曲に恵まれた麻倉さんですが、順風満帆とは言えない時期もありました。
「特に30代は中途半端で、どうやっていこうかと悩むことが多かったですね。私にこの業界は合っているのだろうか、もうやめた方がいいのかな、と考えた時期もありました。30代はずっと悩んでいた気がします」
30代半ばの頃、日本テレビ系の音楽バラエティー番組「THE夜もヒッパレ」に毎週出演するようになります。
「いつの間にか毎週出るようになって、私は本当に歌うことが好きだと、はっきりと確信しました。歌うことは楽しくて、楽しいということはそれが私の居場所だろうと。実はちょっと中途半端な時期に結婚して逃げていたという反省もあり、本格的に歌いたいと思ったので、37歳で離婚してもう一度やり直そうと決めました。40歳を前にして、自分の人生がどこに行くかを決めなきゃいけないと思った時期でした」
「THE夜もヒッパレ」では、歌手の庄野真代さんとの二人組「オンセンズ」として、ハモったりコーラスを担当したりしました。
「当時の日テレの楽屋が温泉旅館みたいな感じで、音と温泉とをかけて『オンセンズ』になったんです。庄野さんは大先輩ですけれども、一緒にいろんなステージもやらせていただいて、非常に勉強になりました。庄野さんに『ハモらない?』と言われて、私はそれまで一人で歌ったことしかなかったので、一瞬固まったんですけど、やってみたいと思って。それから番組の中で私と庄野さんがコーラスに回るようになったんですね。庄野さんの一言がなければできなかったことでした」
「麻倉未稀デビュー40周年記念LIVE 〜Birthday&復活5周年〜」から=2022年7月、東京・丸の内のコットンクラブ、キングレコード提供
「その日の気分を大切に」
麻倉さんは今62歳。若い頃からイタリアの女性歌手ミルバが大好きで、彼女の曲「愛遥かに」をいつか歌いたいと思っていたそうです。ライブで歌うために最近、作詞家の松井五郎さんに日本語詞をつけてもらいました。
「この曲はこれからずっと大切に歌っていきたいですし、いつかレコーディングできればいいなと思います。別れは来ているけれどまだ一緒に住んでいるんだろうな、という内容の詞で、どういう風に離れていくのか、その微妙な感情のニュアンスを、松井さんがすごくいい感じで書いてくださったんです。本当に大切に歌っていきたいと思っています」
現在もテレビの音楽番組やコンサートなどで精力的に歌い続ける麻倉さん。歌うときはどんなことを大切にしているのでしょうか。
「一つの歌をその日どういうふうにとらえているかは、歌ってみないとわからないんですけど、その日の気分を一番大事にしています。あと、例えば『ヒーロー HOLDING OUT FOR A HERO』をどういう場所で歌うのか、それを肌で感じ取ることは大切にしていますね。歌っている最中に『ヒーローってこんな曲だったんだ』と発見することもありますし、『このフレーズでみんなが励まされるんだな』と気づくこともあります。その日その日でお客さんが反応するところが違うので、それを肌で感じて、頭ではあまり考えないようにしています。会場の雰囲気とか、お客さんの目を見ればどういう反応をしていらっしゃるかがわかるので、そこで感じたものを大切にしながら歌っています」
インタビュー後編では、乳がんの闘病体験や、年齢を重ねて思うことについて語ります。
取材&文=朝日新聞社 Aging Gracefully プロジェクトリーダー 坂本真子
写真=山本倫子撮影
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◆麻倉未稀さん全200曲楽曲配信特設サイト
https://cnt.kingrecords.co.jp/miki_asakura200/
◆麻倉未稀さんオフィシャルサイト
https://www.kingrecords.co.jp/cs/artist/artist.aspx?artist=11319
◆麻倉未稀さん公式ブログ
https://ameblo.jp/mikiasakura/
◆麻倉未稀さんツイッター
https://twitter.com/mikiasakura821
◆NPO法人「あいおぷらす」サイト
◆ピンクリボンふじさわ オフィシャルサイト
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