坂本真子の『音楽魂』
市川由紀乃さんインタビュー〈後編〉
楽しいと思えば一日はもっと楽しくなる
「思い立ったらすぐ、1人で動きます」
Special 音楽 ライフスタイル キャリア
[ 23.09.13 ]
歌手デビュー30周年を迎えた市川由紀乃さん。着実に一歩ずつ実績を重ね、充実した日々を過ごしていますが、順風満帆なときばかりではありませんでした。インタビュー後編では、思い悩んだ経験や、それを乗り越えて今思うこと、心のありようなどを語ります。
市川さんは今47歳です。年齢を重ねることをどうとらえているのでしょうか。
「演歌の世界はずっと走り続けていらっしゃる先輩方が多いので、30代、40代はまだ若手です。40代になるときは少し緊張感がありましたけど、40歳になってからは年齢を重ねることが楽しくなりました。いい40代を過ごしていればいい50代がやってくるだろうし、いい50代を過ごせばいい60代、70代というように、いつでも楽しく過ごしていれば、いい年の重ね方ができると思います。今も楽しいですね」
そう考えるようになったきっかけを尋ねると、少し考えてから答えました。
「ここ数年、コロナ禍で世の中が本当に大変な状況が続いて、それでも今、いろいろなことがちょっとずつ以前と同じように戻ってきて、お仕事をさせていただいていることがとても楽しいんです。それに、楽しいと思うと、一日一日がもっと楽しくなるんですよね」
最近はいろいろな人と会う機会を増やしています。
「コロナ禍で人と会えない状態から元に戻りつつある中で、人に会わなきゃ、と思ったんです。今は、会いたいと思ったら、即、連絡を取ります。いつ、どこで会うかを決めたら、絶対に会います」
「全てをゼロに戻そう」
とてもポジティブな言葉が印象的な市川さんですが、若い頃はどちらかというと引っ込み思案な性格で、自己PRも苦手でした。20代には約4年半、歌の世界から離れたこともありました。
「当時は自分が成長できていないように思えて、歌うことの全てをマイナスに考えるようになってしまったんです。周りの器用な人たちを見て、『私はできない』と落ち込み、それが重なるとステージで汗が止まらなかったり、自分の歌なのに間違えたり、途中で止まってしまったり。きちんとお仕事ができないのであれば、お客様に対しても失礼なので、全てをゼロに戻そうと思ったんです」
26歳のとき、実家に戻りました。初めて履歴書を書いてアルバイトの面接を受け、天ぷら屋で働きます。
「お店のホールで天ぷらを提供していました。盛り付けをしたり、パントリーで飲み物を用意したり、おしんこを切ったり、洗い物をしたり、レジを締めたり。始めた頃はミスが多かったけど、いい仲間や店長に恵まれて、いろいろなことをやらせてもらって楽しかったです」
一方、彼女を見守る家族の思いは複雑だったようです。
「新曲は出ないし、テレビにも出ないし、よく家にいる。障害を持つ兄は理解できず、『なんでだろう』というクエスチョンがいっぱい重なって、ときどき発作を起こしました。『なんで新曲が出ないんだよ』と言う兄に、歌手を辞めたとは言えなくて。『今ちょっと体調を崩して休んでいるの。元気になったら、また歌える日が来るから』と説明しても、兄は理解できなかったんですね」
そんな兄や、歌手になることを全力で応援してくれた母親のために、市川さんは再び歌う決意を固めます。
「月日が流れる中で、やっぱり母も兄も、私が市川由紀乃としてまた歌手になることを望んでいるんだなぁ、と感じたことが大きかったですね。アルバイトは楽しかったですけど、今ならきっと、どんなことがあっても耐えていける、と思ったんです。私自身も歌に対する未練はあったので、もう一度戻ろうと思って自分で動き出しました」
2006年、30歳の秋に歌手として再出発しました。
「気持ちが強くなった」
音楽以外の仕事をした経験は市川さんを変えました。
「歌手のときはマネジャーさんがいて、常に守られた環境の中でお仕事をさせてもらっていました。でも、社会に出ると自分のことは自分で守らなければいけない。そんな当たり前のことを、20代後半になって実感しました。時給でお金をいただく中で、お金のありがたみも知りました。このときの経験があったからこそ、自分の気持ちが強くなったと思います」
休日の過ごし方も変わりました。若い頃は家で寝ていたり、出かけるとしても誰かと一緒のことが多かったりしたそうですが、ここ数年は1人で外出することが増えました。
「1人で食事に出かける、おそば屋さんに行く、映画を見る、演劇を見に行く。何かしたいと思い立ったら、すぐに1人で動くようになりました」
自分の気持ちが少し落ち込んでいるかも、と思ったときは、即、行動。
「朝5時ぐらいに目が覚めて、大阪に行って吉本新喜劇を見ようと思ったことがあったんですね。まず東京駅で新幹線の切符を買って、京都の祇園花月で新喜劇を見て、次は大阪のなんばグランド花月に移動して。新喜劇をはしごして日帰りしたんです。ここ数年で2回ぐらいやりました」
にっこり笑う市川さん。内に秘めたエネルギーを感じさせます。
カラオケで気分転換
外出時や移動中はずっと音楽を聴いて曲を覚え、自宅では毎日、歌の練習を欠かしません。
「声を出さないと不安になるので、自分の部屋で2時間ぐらい歌います。収録が決まっている番組で歌う曲は、原曲をひたすら聴きます。作曲家の幸(みゆき)耕平先生のレッスンを受けて、それを録音して聴き直して、1人で練習します。たまにカラオケボックスで練習することもあります」
ちなみに最近の市川さんの主なストレス解消法は、カラオケです。
「仕事以外でも歌います。今、1人でカラオケボックスに行くことが楽しくて。この前行ったときは、演歌ではなく懐かしい曲を、とにかくいっぱい、ひたすら歌いました。昼間に3時間ぐらい続けて歌うこともあります。発声練習にもなるし、ひたすら歌って汗を流して、カラオケは楽しいです」
夕方に仕事が終わった後は、映画や演劇を見に行ったり、友達に連絡して食事をしたり。40代に入ってから、気分転換をしやすくなったと言います。
「30代までは1人で息抜きをするのが苦手でしたけど、今はお仕事に集中したら、自分にご褒美をあげるようにしています。スケジュールを見て、『この日はリラックスして時間を過ごそう』と決めるんです。オンとオフの切り替えは大事ですから」
母との暮らしに学ぶこと
市川さんは身長170.5センチ。以前はよく「バスケットボール部かバレーボール部でしたか?」と聞かれたこともありました(実際は「帰宅部」だったそうです)。
今、健康管理のために気をつけていることはあるのでしょうか。
「1年ぐらい前から間食をやめました。前はポテトチップスの袋を開けたら全部食べちゃうこともありましたが、当時のメイクさんに『間食をやめなさい』と何度も言われて、食べないように心がけたら、食べたいと思わなくなったんです。運動は苦手なので、母と散歩するぐらいですね」
現在は79歳の母親と一緒に暮らしています。
「母は私よりよく食べますし、私より早く起きて私より後に寝る。毎日どんなときもお化粧して、髪をホットカーラーで巻いて、近くのコンビニやゴミ出しに行くときも化粧をするんです。母から学ぶことはいっぱいあります。一緒にいられる時間を大切にして、楽しい、うれしいことを一緒にたくさん経験したいですね」
離婚してから女手一つで子ども2人を育てた母。その存在はとても大きいと市川さんは言います
「苦労もいっぱいあったと思うんですけど、試練や逆境に当たるとラッキーだと思うらしいです。これを乗り越えたら、またひとつ成長できると。母は常にポジティブで明るくて、私が何か落ち込んでいると、すぐに察知して、面白いことを言って私を笑わせようとします。『今日は疲れて夕食を作るのがめんどうだから、外に食べに連れて行って』と私を外に連れ出して、私よりいっぱい食べる。それを見ていると、私も元気になります。母が元気でいてくれることが喜びですね。この母に育ててもらってよかったな、と思います」
「幸せだなぁ」と思う瞬間
そんな市川さんが今、幸せを感じるときは……?
「ひとつは、お仕事を終えてビールを飲むとき。次の日にステージがあるとお酒は控えますけど、夜の公演が終わって翌日ステージがないときは、スタッフの方たちと乾杯します。幸せだなぁ、と思う瞬間ですね。もうひとつは、寝るとき。お仕事が終わって、今日も頑張った、楽しかった、一日終わった、と思ってグーッと落ちる瞬間は幸せです。そして朝、目が覚めて『今日も私は生きている、また一日が始まる』と思うとワクワクします」
ステージではどうでしょうか。
「緞帳(どんちょう)が上がって、拍手してくださるお客様のお顔が見えたときは幸せです。でも、ステージが始まるときは、お客様に『来てよかった』と思っていただけるステージにしなければ、という責任感の方が強いですね。公演の最後にみなさんが手を振ってくださって、最後にごあいさつするときに自分の声がうわずってしまうことがあって、その瞬間は幸せのピークだと思います」
私が市川さんに初めてインタビューをしたのは2020年3月上旬、コロナ禍が本格化する直前でした。新曲のキャンペーンが組めず、コンサートが次々と中止になる中で、不安を抱えつつ「5年先も歌っていられるように今を精いっぱい頑張ろうと思うようになりました」と話していた姿が印象に残っています。
今回、3年半ぶりに取材した市川さんは「今が楽しい」と話し、キラキラと目が輝いていました。さまざまな試練をくぐり抜けて30年の節目を迎えたことが自信につながり、強さもしなやかさも増したように感じます。これから先の長い歌手人生をどのように過ごし、羽ばたいていくのでしょうか。楽しみに見守りたいと思います。
最近、音楽を聴いていますか。
振り返れば、あなたにもきっと、歌やメロディーに励まされ、癒やされた思い出があるはず。40代、50代になっても、これからもずっと音楽と一緒に過ごせますように。
そんな願いを込めて、子どもの頃から合唱曲やロックを歌い、仕事でも関わってきたAging Gracefullyプロジェクトリーダーの坂本が、音楽の話をお届けします。
取材&文=朝日新聞社 Aging Gracefully プロジェクトリーダー/編集長 坂本真子
写真=山本倫子撮影
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◆「市川由紀乃リサイタル2023 ソノサキノハジ真利ー東京公演ー」
10月4日(水)17:55開演、LINE CUBE SHIBUYA(渋谷公会堂)
問い合わせ:ベルワールドミュージック 電話03-3222-7982(平日12時〜17時)◆「市川由紀乃リサイタル2023 ソノサキノハジ真利ー大阪公演ー」
10月8日(日)14時開演、新歌舞伎座
問い合わせ:新歌舞伎座テレホン予約センター 電話06-7730-2222(10時〜16時)◆「花わずらい〜彩盤」
10月4日(水)発売、(CD+DVD)1800円(税込み)。
CD:「花わずらい」、「名前」、「花わずらい」(ピアノ・バージョン)。
DVD:「花わずらい」ミュージック・ビデオ、「花わずらい~彩(いろどり)盤」ミュージック・ビデオ、特典映像。(写真はキングレコード提供)
◆市川由紀乃 オフィシャルサイト
◆市川由紀乃 オフィシャルブログ
https://ameblo.jp/yukino-ichikawa/
◆市川由紀乃 オフィシャル インスタグラム
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