Dr. HisamichiのKeep On Walkin’
スペシャル対談 Vol.7
マリンバ奏者三村奈々恵さん「ここからがスタート」
Special ヘルスケア 学び 音楽 ライフスタイル キャリア 対談
[ 23.07.19 ]
学生時代から数々の国際コンクールで優勝を重ね、現在も世界の第一線で演奏活動を続けるマリンバ奏者の三村奈々恵さん。近年では後進の育成や、マリンバの魅力の発信にも力を注がれています。デビューして20年以上たっても、「ここからがスタート」と話す三村さんと「下北沢病院」の理事長・医師、久道勝也先生が音楽の持つ力をテーマに対談しました。
- 久道
- 最初にマリンバを始められたきっかけをお伺いできますか。
- 三村
- 3歳の時に母がピアノとマリンバの教室に連れて行ってくれて、その頃から毎日練習していました。当初は小学校入学までの情操教育のつもりだったそうですが、どうやら本当に音楽が好きらしいということで入学後も続けました。10歳の時、母から「プロを目指すか遊びでやるのか選びなさい」と言われ、遊びなら教室はやめさせるということだったので、「がんばります」と即答。その後は本格的な教室に通って受験準備に入りました。
- 久道
- どこの時点でマリンバを選ばれたのでしょうか。
- 三村
- ピアノとマリンバはずっと同じくらい真剣に取り組んでいました。国立音楽大学附属高校を受験する際、私はピアノ科で入りたかったのですが、母は「ピアノは競争率が高いから、絶対にマリンバにしなさい」という意見でした。
- 久道
- 競争率は大事です。医療も同じで、人気の高いところに行けば競争が激しくなります。医者で言えばどの診療科を選ぶか、どの病院で研修するかなどを決めるときにも同じような状況があります。 “人生の選択”ですね。
- 三村
- 私は小さい頃から両親に「卒業したら自立しなさい」と言われて育ったため、音楽の世界で自分の特色で生きていくにはどうしたらいいのかを考えた結果、大学生の頃にマリンバでいくと決めました。海外の大学にも興味があったのですが、両親や先生が「海外に行くなら大学院から」という考えだったため、日本の音楽大学に進学しました。
- 久道
- ご両親や先生はどのような考えから日本の音楽大学を勧められたのでしょうか。
- 三村
- 海外から帰ってきた際に音楽界のコネクションがないということが心配だったようです。私は留学したらもう帰ってこなくていいくらいの気持ちだったのですが。
- 久道
- それは思い切ったお考えでしたね。
- 三村
- 小さい頃から畳や障子のない家で育ち、両親がジャズや洋楽・洋画に親しんでいたこともあり、欧米文化に憧れを持っていたことが大きいと思います。
パイオニアとしての厳しさ
- 久道
- 海外で学ぶ人は医学の世界でも多いのですが、合う人と合わない人がいる。私も米国の大学にいきましたが、非常に楽しめたと同時に、そこの創傷センターで足病医療という日本にはない診療科を知ることができた。それが今の仕事につながっています。一方では嘱望されて、準備万端で留学したのに「水が合わない」とすぐ帰ってしまった人もいました。三村さんの場合は大当たりだったのでしょうね。
- 三村
- はい、想像もしていなかった大当たりでした。留学してすぐにコンクールで優勝し、直後のスイスのコンクールでも優勝しました。翌年にはニューヨークで国際的若手アーティストの登竜門の「コンサート・アーティスト・ギルド・コンペティション」でマリンバ・ソロとして初の最高賞をいただき、カーネギー・ホールでデビュー・リサイタルを開くことができました。
- 久道
- いきなり世界がドーンと広がった。
- 三村
- 本当にびっくりしました。
- 久道
- 今は日本を拠点に活動されていますね。
- 三村
- 2006年に帰国しました。当時はバークリー音楽院で非常勤講師をやっていましたが、経済的に難しかったのです。デビューして気づいたのですが、マリンバ奏者という職業は世界で成り立っていませんでした。デビュー後にマネジメントをしていただいた事務所は5年で卒業という決まりでしたので、他の事務所に売り込みに行って「君がピアノや歌、ヴァイオリンだったらいいのだけど、マリンバは採らないんだよ」とも言われました。一方、日本ではソニーからCDを出させていただいたので帰国した方が仕事があるということで戻ることにしました。
- 久道
- ピアノは競争率が激しいからマリンバ奏者を選んだのは良い選択のように思えたのですが、職業として成立していなかった。ニッチなジャンルはニッチであるが故に大変だということですね。私も自分の話に引きつけて言うと、日本には「足病医療」というものがないから絶対にうまく行くと思ってやってみたら、ジャンルとして成立していない領域だったため苦しみの連続でした。今はようやく浸透してきましたが、当時は自分の浅はかさを呪いました。
- 三村
- 私も同じです。需要と供給が成り立っていない。
- 久道
- パイオニアといえばかっこいいけれど、「えらいところに手を出してしまった」ということになりますよね。
- 三村
- 自分が開拓者の一人になるとは思ってもいませんでした。ダウンロードで全て完結してしまうこのご時世。マリンバなどアコースティック楽器の生演奏の素晴らしさをもっと多くの方に、特に若い世代に知ってもらえたら嬉しいです。
- 久道
- 唐突にお聞きしますが、マリンバがある日突然人格を持ったら、三村さんになんて話しかけてくると思いますか。
- 三村
- そうですね…、45年間マリンバを通して喜怒哀楽の全ての感情や様々な経験を共有しているので、お互いの良いところも悪いところも知り尽くしている長年連れ添った夫婦のような関係だと感じています。背中を押す意味で「これからがスタートだぞ!」と言ってくれるのではないでしょうか。
ニーズと自己表現のバランス
- 久道
- 海外で実力を高く評価され、様々な苦労も経験され、今も第一線で活躍されている。これまでを振り返って、プロの音楽家として生きていくには何が大事だと感じていますか。
- 三村
- 人のニーズに応えることでしょうか。芸術家は自己を表現するイメージがあると思いますが、それだけでは生きていけませんので、お客様に喜んでいただくことが大事です。ただ、それだけでも成長がありません。マリンバ奏者としてのフィールドを開拓していくことも必要ですので、私は常にニーズと自己表現のバランスを考えています。特にマリンバは新しい楽器ですので、その価値が理解されるまでには時間がかかると思っています。
- 久道
- ニーズの大切さは医療の分野でも痛感しています。ただ、自分の考えるニーズと社会のニーズが違って驚くことも多い。
- 三村
- わかります。そういうギャップはスタッフの助言で修正していくようにしています。
- 久道
- これまでの人生で最高だと思った瞬間はありますか。
- 三村
- 2008年にコロンビアの日本大使館から日本とコロンビアの修好100年を記念した6都市での演奏会に声を掛けていただきました。当時は政情が不安定で大統領が「武器ではなく楽器を」と子どもたちに楽器を配る活動が行われていました。カリという街での演奏会前日の練習中に爆弾テロがあり、演奏会の中止も検討されたのですが、「こういう時だからこそ」と決行することになりました。そうしたら、驚いたことに2千人のキャパシティのホールに3千人のお客さんが詰めかけてくれたんです。きっと常に緊張感を強いられる生活で平和や音楽に飢えていたんだと思います。あの晩の地元の方々の熱気、現地ミュージシャンによる独特の魔法のようなグルーヴは言葉では言い表せないほど素晴らしいものでした。音楽の力で平和を祈り、携わったみんながハッピーになれた一生忘れられない演奏会となりました。演奏しながら、「大好きな音楽で最高のエネルギーの中で死ねるなら今死んでもいい」とすら思いました。
木や花を見ながら歩いて気分転換
- 久道
- そんな経験は芸術家の特権ですね。また同じような経験がしたいですか。
- 三村
- 感情の振り幅が大き過ぎてもモチベーションが保てないので、今はなるべく感情を安定させるようにしています。最近、大学に教えにいく際に川沿いの綺麗な木や花を見たり、鳥の鳴き声を聴いたりして日常の幸せを感じながら歩いていると、気分がすっきりとして精神的に良いと感じています。若い頃はほとんど歩きませんでしたが、コロナ禍に友人が誘ってくれた際に1日に10キロも歩けて「私はこんなに歩ける足を持っていたんだ!」と気づいてから積極的に歩くようになりました。
- 久道
- 外を歩くのは屋内と違って五感が刺激されて良いんです。歩行は効率の悪い移動手段ですが、車や電車では得られない豊かさがある。私は80歳になって20本良い歯を残しましょうという「歯の8020運動」にならって、80歳になっても20分早歩きをしましょうという「足の8020運動」を推奨していますが、ここに音楽を取り入れられないかと考えているところです。人間の本能を刺激する音楽は、行動変容のきっかけになります。三村さんの1日10キロは立派ですね。マリンバの演奏も相当な体力を使うでしょう。
- 三村
- 演奏会前は身体だけでなくかなり頭を使い1日6時間練習するので本当にクタクタになります。
- 久道
- 本日足を拝見したところ、関節可動域も角質の水分量も申し分ありませんが、外反母趾と内反小趾がありました。医療用インソールで歩行も演奏もぐっと快適になると思います。
- 三村
- 是非検討したいです。私は「これからがスタート」ですので、足は大事にしたいと思います!
- 久道
- 素晴らしい結びのお言葉をありがとうございます。
文=草刈康代
写真=家老芳美
- 三村 奈々恵(みむら・ななえ)
マリンバ奏者
1974年生まれ。国⽴⾳楽⼤学打楽器専攻を⾸席卒業後、渡⽶。ボストン⾳楽院にて修⼠号を取得し、バークリー⾳楽院で講師を務める。学⽣時代より、史上 3 ⼈⽬の「アロージ賞」(スイス)を受賞するなど国際コンクールで優勝を重ねる。99年、国際的若⼿アーティストの登⻯⾨とされるニューヨークの「コンサート・アーティスト・ギルド・コンペティション」でマリンバ・ソロとして初の最高賞を受賞。同年にニューヨークの「カーネギー・ホール」でデビュー・リサイタルを開催し、⼀躍世界に名を広めた。これまで世界 22 カ国から招聘され、マリンバが国家象徴に定められたグァテマラでは過去 4回の招聘で国⽴オーケストラとの共演を果たし、2001 年には「グァテマラ・マリンバ協会」より初の名誉会員(第 1 号)に任命されている。これまでにアルバム 4 枚をリリース。
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◆出演情報
スティーヴ・ライヒ/ドラミング
2023年9月9日(土)13:30開演 滋賀県立文化産業交流会館イベントホール
2023年9月10日(日)15:00開演 滋賀県立芸術劇場 びわ湖ホール大ホール
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