坂本真子の『音楽魂』
歌手デビュー40周年、野宮真貴さんに聞く〈前編〉
シティー・ポップも渋谷系も
J-POPの歴史と重なる歩み
Special 音楽 ライフスタイル
[ 22.04.20 ]
最近、音楽を聴いていますか。
振り返れば、あなたにもきっと、歌やメロディーに励まされ、癒やされた思い出があるはず。40代、50代になっても、これからもずっと音楽と一緒に過ごせますように。
そんな願いを込めて、子どもの頃から合唱曲やロックを歌い、仕事でも関わってきたAging Gracefullyプロジェクトリーダーの坂本が、音楽の話をお届けします。
ファッションもサウンドも、いつもおしゃれな野宮真貴さんが、今年、歌手デビュー40周年を迎えました。4月20日に出した新しいアルバム 「New Beautiful」は、野宮さんの歩みと日本のポップスの歴史をたどる作品に。最近は自身の更年期体験を語り、40~50代の女性たちの共感を集めています。そんな野宮さんのインタビュー前編では、新アルバムを通して40年の音楽活動を振り返ります。
野宮さんは1981年にソロ歌手としてデビューし、1990年、 小西康陽(やすはる)さん率いるピチカート・ファイヴに3代目ボーカルとして参加しました。2001年の解散後は、再びソロで活動しています。そのピチカート・ファイヴ時代の代表的な3曲が今回、 「World Tour Mix」と名付けたコラボにより、新しい音に生まれ変わりました。
「ピチカート・ファイヴから30年間、最も歌った曲のひとつです」と野宮さんが話すのは、 「東京は夜の七時」。1993年にフジテレビ系で夜7時に放送された番組「ウゴウゴルーガ2号」のオープニングテーマとして発表されました。さまざまなイベントで「7時ちょうどに歌ってください」と言われることが多かったそうです。
この曲を今回、日米で活躍する 韓国のプロデューサーでDJのNight Tempoさんが編曲しました。海外におけるシティー・ポップ・ブームの立役者の一人です。
「40周年のプロローグ的な感じで、今までと違う若い方たちともコラボレーションしたかったので、SNSで話題の海外のアーティストに、今の感覚でリアレンジしてもらいました。1993年の曲が今の音に仕上がって、SNSを通して世界各地に届いた実感があります。Night Tempoさんは30代で、1980年代の日本の音楽、歌謡曲やシティー・ポップが大好きで、リミックスされたものはアメリカでも人気なんです。韓国から日本を俯瞰(ふかん)して、私たち日本人が忘れていたものを発掘して世界に送り出し、それを世界中の人が聴いて、支持している。新しい楽曲として世界中の若い人に発見してもらえたように感じています」
新アルバム「New Beautiful」のジャケット(通常盤)=ビクターエンタテインメント提供
1994年のシングル 「陽の当たる大通り」は今回、 タイのシンガー・ソングライター、プム・ヴィプリットさんとコラボしました。
「彼は海の近くに住んでいるんですけど、海沿いで太陽がよく当たる大通りを歩いているようなサウンドに仕上がって、これも世界中の若い人たちに届いています。25歳になる私の息子がプム・ヴィプリットさんの音楽を熱心に聴いていたみたいで、『プムとコラボしたの?』と言われました。やっぱり若い人はちゃんと聴いているんだなと思って、息子にはちょっと自慢でした(笑)」
1993年のシングル 「スウィート・ソウル・レヴュー」は、 インドネシアの女性シンガーでYouTuberでもあるレイニッチさんとデュエット。日本のポップスバンドevening cinemaのボーカル、原田夏樹さんがアレンジを手がけました。レイニッチさんもシティー・ポップ・ブームの立役者の一人で、evening cinemaは、1970~80年代のシティー・ポップや1990年代の渋谷系サウンドを受け継ぐ、若い4人組です。
「evening cinemaはとても若いバンドで、メンバーに『お母さんと同い年だ』って言われたんです(笑)。そういう息子世代の人たちでも1970年代のシティー・ポップをよく知っていて、1990年代のピチカート・ファイヴや渋谷系も聴いている。渋谷系のミュージシャンの多くは、1960年代の音楽やカルチャーを好きで、影響を受けて、それを自分たちの中で再構築して発信していたのがひとつの特徴なんですけど、そういうこともしっかり若い世代に受け継がれていることがうれしかったです」
「ハードロックが好きだったけど」
新アルバムでは、日本のミュージシャンたちともコラボしています。「CANDY MOON」は、ロックユニットGLIM SPANKYのボーカル&ギター松尾レミさんの作品です。
「私がピチカート・ファイヴで歌っていた中から、すごくキュートな女性像を今回、曲にしてプレゼントしてくれました。松尾さんのご両親が私と同世代で、彼女は物心ついた頃から家で渋谷系やピチカート・ファイヴの曲を聴いていたそうです。でも彼女は、自分の声質が渋谷系ポップスを歌うよりもロックの方が向いているということで、ロックを歌うようになったそうです」
そう語る野宮さんは、実は松尾さんとは逆の道をたどっています。10代の頃、 野宮さんはハードロックバンドのギタリストでした。
「好きだったんですけど、この声がハードロックに向いてないなぁ、シャウトとかできないしなぁ、と思っていた1970年代後半に、 ニューウェーブやテクノポップが出てきて、私が歌える音楽を見つけた、と思ったんです。歌い上げずに淡々と無機質に歌う感じ。そこからずっとそのスタイルでここまで来た感じですね」
ロックバンドKISSの大ファンで、来日コンサートは必ず見ていて、米国にも見に行ったそうです。
「KISSは常に応援しています。 KISSそのものが好きで、50年もライブを続ける姿を尊敬しています。アレンジも1970年代に出したアルバムのまま。ギタリストは代わっても、ギターソロは全部完コピでやってくれる。ヒット曲は、自分たちも何度も演奏するから飽きちゃうし、いろいろアレンジを加えるアーティストもいて、それもいいんですけど、ファンとしては元のアレンジで聴きたかった、と思うことがあるじゃないですか。それをずっとやってくれるバンドだし、ステージも楽しいし、夢がある。ジーン・シモンズはいまだに血を吐いて、火を噴いていて、ファンとしては心配なんだけど、 見ると高校生のときに戻れちゃう。そういうバンドです」
野宮さんは少女のように目を輝かせながら、熱く語りました。
青春を過ごしたポータブル・ロック
野宮さんが1981年に出したデビュー曲「女ともだち」はCMソングで、その後も多くのCM曲を歌いました。また、同年には最初のアルバム「ピンクの心」を発表。ムーンライダーズの鈴木慶一さんがプロデュースを手がけました。このアルバムには、後にピチカート・ファイヴでカバーし、世界で愛された曲「Twiggy Twiggy」も収録されていました。
今回の新アルバムには、「Twiggy Twiggy」の作者である佐藤奈々子さんが作詞、鈴木慶一さんが作曲した 「美しい鏡」が収められています。「スタートのときの大事なプロデューサーでしたので、慶一さんには40周年でぜひ曲を書いてもらいたくて、佐藤奈々子さんと慶一さんとのコラボで、今の私に歌ってほしい曲、歌わせたい1曲を書いてくださいとお願いしたんです」と野宮さんは言います。
野宮さんは1982年、ベースの中原信雄さん、ギターの鈴木智文さんと3人で、ユニット 「ポータブル・ロック」を結成しました。しかし、なかなか思うように売れず、野宮さんはソロ歌手としてCMソングを歌ったり、コーラスの仕事をしたり。そんなとき、田島貴男さんがボーカルを務めていたピチカート・ファイヴのコーラスを担当し、田島さんがオリジナル・ラブに専念するために脱退した後の1990年、野宮さんは3代目ボーカルとして参加しました。
「小西さんから『君をスターにしてみせる』というセリフで誘われて、ポータブル・ロックのメンバーには『ちょっとピチカートやってくるね』みたいな感じで、ピチカートのメンバーになっちゃったんですけど、よくよく考えたら解散してなかったよね、ということで、今回、ポータブル・ロックで久しぶりに書いてもらった曲が 『Portable Love』です」
ポータブル・ロックは、野宮さんにとって原点のようなものだと言います。
「青春時代をポータブル・ロックで過ごして、本当に3人仲良しで、遊びにも行ったし、仕事でデモテープ作りも楽しくやっていたんですね。今また3人で集まると、当時の感じにすぐ戻っちゃう。久々にバンドって楽しいなと思って制作しました。楽しくて、一番笑ったレコーディングでした」と、野宮さんは笑顔で話しました。
20年ぶりに同じ舞台に
新アルバムに収録されたオリジナルの5曲は、いずれも野宮さんが40年の歌手生活の中で深く関わってきた人たちによる作品です。
このうち 「おないどし」は、クレイジーケンバンドのボーカル 横山剣さんとのデュエット。二人は実際に同い年で、干支も、デビューしたのも同じ年です。友達以上、恋人未満の大人の男女のやりとりを描いた歌で、横山さんが作詞作曲を手がけました。
「同い年だからこそわかる、同じ時代のいろんな言葉が歌詞にちりばめられていて、デュエットソングの定番になるといいな、と思います」
「大人の恋、もしくは恋のエチュード」は、 ピチカート・ファイヴのオリジナルメンバーだった高浪慶太郎さんが作曲し、シンガー・ソングライターのカジヒデキさんが作詞を担当しました。高浪さんは現在、長崎県在住ですが、打ち合わせやボーカル・ディレクションは全てリモートで作業を進めたそうです。
「SNSがある時代だからこそ、というのはありますけど、リモートのやりとりでも音楽は作れるし、世界とつながって海外のアーティストともレコーディングできる。コロナ禍で外に出られないなら何ができるか、考えました。慶太郎さんの曲が、すごく『青春感』のある曲だと思ったので、歌詞は、永遠の青春を生きているカジくんに、と思ってお願いしたら、とてもすてきな歌詞を書いてくださいました」
新アルバムには、ライブを録音したものも2曲収められています。2020年8月の還暦ライブで鈴木雅之さんと一緒に歌った 「夢で逢えたら」と、2021年12月にジャズピアニストの矢舟テツローさんと行ったライブで演奏した「サンキュー」です。
実は、矢舟さんとのライブには、小西さんがDJで参加していました。アンコールの「サンキュー」では、 2001年にピチカート・ファイヴが解散してから20年ぶりに、野宮さんと小西さんが同じ舞台に立ちました。ファンにとっては奇跡のようなライブの、貴重な音源を聴くことができます。
再び注目された渋谷系
野宮さんが歌い始めた1970年代後半は、世界的にニューウェーブが盛り上がった時期。ソロ歌手として活動した1980年代は、テレビのCMソングから次々にヒット曲が生まれた時代でした。そして1990年代には、ピチカート・ファイヴが渋谷系サウンドを牽引(けんいん)しました。
野宮さんが歩んだ道のりは、J-POPの歴史とも重なります。
「長く続けていると、そういうことになっちゃうんですね。いま62歳なので、40年といえば、自分の年齢の3分の2ぐらい。あっという間といえば、あっという間だったように思います」
渋谷系は、ここ数年のシティー・ポップのブームで改めて注目され、YouTubeやストリーミングの広がりもあって世界中の若者たちに聴かれています。今回、野宮さんとコラボしたNight Tempoさんやレイニッチさんは、いまのシティー・ポップ・ブームを担う若い世代。彼らによる「World Tour Mix」の3曲は、洗練されたサウンドが心地よく響くとともに、ピチカート・ファイヴへの愛があふれる作品になっています。
インタビュー後編では、野宮さんの生き方や、更年期について語っています。
取材&文=朝日新聞社 Aging Gracefullyプロジェクトリーダー 坂本真子
写真=篠田英美
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「野宮真貴 40th Anniversary Live」
- 4月24日(日) ビルボードライブ大阪 ゲスト:松尾レミさん
4月29日(金・祝) ビルボードライブ東京 ゲスト:横山剣さん
4月30日(土) ビルボードライブ東京 ゲスト:鈴木慶一さん、カジヒデキさん
いずれも1日2回公演(16:30開演、19:30開演)
☆29日19:30のステージはライブ配信されます
詳細は野宮真貴さん公式サイト(https://www.missmakinomiya.com/)と、ビルボードライブHP(http://www.billboard-live.com/)
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