わたしらしく輝く
心と体、更年期どうつきあう?
Special マインド ライフスタイル ヘルスケア
[ 22.06.29 ]
昭和に育ち、男女の雇用機会均等の号砲で平成を走ってきた。そして50歳。過去も未来も見渡せる年頃を迎えたあなたや私をAging Gracefully(AG)世代と名付けました。年を重ねてもっと自由に。
AG世代をフィーチャーした、朝日新聞の2021年1月の特集記事を紹介します。
更年期。多くの女性たちは閉経をはさんだ前後の約10年間、思春期と同じようにホルモンのバランスが乱れます。それに伴って個人差はあれど、ホットフラッシュや身体の冷え、抑うつ状態の不調などに襲われるといわれます。人生100年時代、老年期へと向かう折り返し地点をどう過ごせばいいのか、どんな意味があるのか、先輩に聞きました。
いま、人生で一番動いてます!
漫画家・槇村さとるさん(64)
私の長く苦しい更年期の実体験を赤裸々にするのには理由があるんです。渦中で大変だった時に「なぜ、こんなにつらいと誰も教えてくれなかったの?」と腹が立ったから(笑)。今も乗り越えられてはいませんが、これからの人に少しでも支えになれればと。
<55歳からの「本編」>
最初の異変は50歳。新宿駅を歩いていて突然、全身の力が抜けました。操り人形の糸がプツッと切れ、崩れ落ちるみたいに。その日、たまたま撮られた写真の顔は生気がなく「おばあちゃん」のよう。でも生来頑丈なので気にしなかった。その年齢で閉経し、55歳になって、猛烈な腹痛に襲われたんです。ここから本編スタート(苦笑)。
まず胆石が見つかり、胆囊(たんのう)ごと切除しました。傷が癒えるころに、胃腸がおかしくなってきて。原因不明のまま、ひどい貧血に悩まされ、体重は45キロまでダウン。体を温めると少し楽で、昼に湯船に浸って出てを繰り返し、漫画を描き続けました。あとで十二指腸潰瘍(かいよう)とわかりました。
体の不調は3年ほどで良くなったけど、今度は心がついてこなかった。当時は雑誌連載が2本。習性で手は動くけど、意欲が湧かない。前向きな昔の自分に戻れず、その場でしゃがみ込んで泣いているイメージ。自尊心は低下し、死の不安にかられました。
社交ダンスを始めて髪を伸ばした槇村さとるさん。「これからは熟女らしく『マチュアな魅力』で」=関田航撮影
そんなある日、夫に「私はあなたに何か悪いことしました?」と言われて、ハッとしました。自分の体にかかりきりで、一番大切なパートナーを気遣えなくなっていた。初めて「何を見ても何をしてもつまらない。こんな状態で生きているのがつらい」と伝えました。彼が受け入れ、適切な距離で見守ってくれたのは大きかった。
漫画家を辞めようと思いました。だけど編集者は「聞こえません」、憧れの先輩も「気のせいよ」と取り合わず。うつっぽい時に大きな決断はするなと言いますが、当時の周りの人の対応に感謝しています。
このころ58歳になった私の中で「不調は更年期のせいかも」との考えがやっと芽生えました。クリニックを受診し、ホルモン補充療法に挑みます。橋本病も発覚、治療を始めて半年で劇的に改善しました。ピルを飲むことに身構えてしまう世代ですが、ホルモンは人体に大きく作用する。医療の力を借りるのは大切だと実感しました。
師事する宮嶋秀行さんとペアを組んで=スタジオひまわり撮影
<ダンスと出会って>
更年期が落ち着いた60歳から、社交ダンスを始めました。いまや人生で一番動いています(笑)。ペアを組む人と重力を利用し合って回転し、すごいスピードになる競技。女性はガンガン後退する動きが多く、お尻や太ももの裏側に筋肉がつく。身長153センチで今の体重は52キロほど。音楽に合わせ、頭も使い、おすすめですよ。
閉経して「もう女じゃない」と落ち込む人もいますが、そんな簡単な話ではない。それまでの人生で凝り固まった部分をどんどん溶かし、本当の自分を見つけ、それを軸に心地よい暮らし方や人間関係を考える。更年期とは自分の女性性を見つめ直し、再構築する時間。大変だけど、楽しくもある。
それをやって「老い」に入ったら、きっと「怖いものなし」でしょうね。若い人より革新的、いたずら心にあふれ、周りからは動きが読めない。それが年を取ることの醍醐(だいご)味かもしれません。
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1956年生まれ。『愛のアランフェス』『おいしい関係』『リアル・クローズ』など作品多数。夫は性人類学者キム・ミョンガンさん。
朝日新聞2021年1月24日掲載
記事=高橋美佐子