AG世代がいちばん話したいこと
「多様な幸せを実現できる社会のために」
ジェンダード・イノベーションを知ろう
Special ライフスタイル 子育て キャリア 学び ジェンダー
[ 22.12.07 ]
40代と50代、Aging Gracefully(=AG)世代の日本の女性たちの生き方は、どんどん多様化しています。最も多いライフコースは「専業主婦」だという調査結果がありますが、それでも4割に満たず、家族の形も働き方もさまざまです。
「AG世代がいちばん話したいこと」は、そんなAG世代の女性たちが、いま最も伝えたいこと、生の声をお届けします。
「ジェンダード・イノベーション」をご存じですか。これまで多くの研究や開発は男性を基準として進められ、女性は見過ごされがちでした。しかし今、欧米では、男女の身体構造や機能の違い、加齢に伴う変化、社会的・文化的影響などの性差を深く分析し、それを積極的に医療や製品・技術開発のデザインに組み入れることで、科学技術のイノベーション(技術革新)をめざす「ジェンダード・イノベーション」が広まってきています。日本でも産官学連携や政策提言、女性イノベーター育成に関するネットワークの中核として、今年4月、東京・文京区のお茶の水女子大学にジェンダード・イノベーション研究所が設立されました。同研究所の特任教授で、AG世代の一人でもある佐々木成江さん(52)は、「多様な幸せを実現できる社会のために、まず知ってもらうことが大切」と語ります。
――「ジェンダード・イノベーション」と出会ったのはいつですか。
4年ほど前、朝日新聞のWEBRONZAで読んで、ジェンダーの視点や性差をきちんと解析するとこんなに良いことがあるのかと思ったことが最初です。読んだその日に参加した経済産業省の委員会でジェンダード・イノベーションについて紹介し、委員会の中間とりまとめにもその重要性が記載されました。
「フェムテック」が広く知られるようになって、生理や女性の体の健康のことが、社会の中で解決すべきこととして認識されてきたように、ジェンダード・イノベーションにもそういう力があると思っています。研究だけでなく、フェムテックのように社会の中に実装していくことが大切です。
――「ジェンダー平等」の概念とはどう違うのでしょうか。
今までの日本では、ジェンダー平等を考えるうえで同じでなければいけないという意識が強く、違うことは不平等だと考えられていましたが、性差があれば、それを埋めて公正にすることがジェンダード・イノベーション。この公正という考え方は、真のジェンダー平等達成や多様な幸せを実現するためにとても重要な概念です。ジェンダード・イノベーションを提唱したスタンフォード大学のロンダ・シービンガー教授は先日、「ジェンダー・バイアスという言葉にはマイナスのイメージがあり、イノベーションという言葉を使うことでプラスに変えたかった」とおっしゃっていました。
ジェンダード・イノベーションでは、生物学的性差(セックス)と社会学的性差(ジェンダー)の両面から分析することがとても重要です。これについては、最近、ある講演会で聞いた話がわかりやすいと思います。理系の人は生物学的な性について考えますが、ジェンダーを意識していないので、例えば「女性は鬱(うつ)病になりやすい」という話をしたとき、女性にはそうなりやすいメカニズムがあるだろうと、生物学的な視点から考えようとします。でも実際は、女性は暴力や性的暴行の被害を受けることで鬱病を発症しやすいのかもしれず、そこにはジェンダーの問題も関わってくるので、両方の要素を考えなければいけないわけです。一方、文系の人たちは、これまで生物学的な性についてはあまり考えてきませんでした。ジェンダード・イノベーションは今後、理系と文系がしっかりタッグを組んで考えることができる領域といえます。
お茶大では、ジェンダード・イノベーションについて考え、かつ、どんなことを起業できるかを学生たちに考えさせる授業が、今年の秋から始まりました。文系、理系のどちらの学生も選択できます。9月には学内コンテストがあって、3組の学生が発表しました。例えば、女性は公共交通で痴漢にあいやすく、家庭や育児のための移動が男性より多いので、女性の安全や生活パターンに対応する新しい都市型モビリティーを開発したい、というような提案がありました。
ミトコンドリアに見る生命の神秘
――佐々木さんご自身はどんな研究をしていらっしゃいますか。
生命の不思議や神秘を解き明かしたいという思いがあり、ミトコンドリアの研究をしています。細胞の中にあるミトコンドリアはDNAを持っていて、そのDNAは母親からしか子どもに伝わらず、父親は受精の過程で徹底的に消されてしまいます。DNAを消し、かつそのDNAが入っているミトコンドリアも最終的に消されます。なぜ消すのか、どうやって消すのかを研究しています。真正粘菌という非常に原始的な生き物には、雌雄ではなく800ぐらいの性があって、2種類の違うタイプが出会うと接合(受精)しますが、その後どちらのミトコンドリアを消すかは、相手によって変わります。自分が消される場合もあるし、相手を消す場合もある。性は本当に揺らぎやすいものなんです。
――研究者の道に進まれたきっかけは何ですか。
高校生のときに「遺伝子の話」という本を読んで、すごい、と思ったのがきっかけです。子どもの頃はお医者さん、次は弁護士になりたくて、高校1年の進路希望は文系で出したんですけど、その直後にこの本に出会って、進路を変更しました。
私は福井県の出身で、家は自営業。母は専業主婦で、「資格を取って手に職をつけなさい」といつも言っていました。祖母も専業主婦で、「何かを極めなさい」「うちの家系に学者がほしい」とよく言われました。祖母のことが大好きだったので、影響を受けたと思います。「何か物事を始めたら、まずは身につけるために10年はやりなさい」と祖母に言われたことがあって、実際に私は大学4年、修士3年、博士2年で計9年、そしてプラス1年と勉強した辺りで、学者の道が少し自分の身についたな、と実感しました。
佐々木さんが進路を決めるきっかけになった本「遺伝子のはなし」(M・B・ホーグランド著、社会思想社)。今も大切に持っているそうです
子どもは社会の中で育てるもの
――研究以外に、大学内に保育園をつくる取り組みにも参加されたそうですね。
最初にお茶大にいた頃、私のボスだった先生に「そろそろ子どもをほしいんじゃない?」と聞かれて、学内に保育園を作るためのワーキンググループに入らせてもらったんです。深夜まで実験をしていて、子どもを産めるのかな、という不安がありましたが、一緒に活動していた女性の教授たちが「産めるわよ」と普通におっしゃって、「子どもを夫婦だけで育てようとしたらダメ。社会の中で育てるから大丈夫」と背中を押されました。私は産後2カ月で仕事に復帰して、学内にできた保育園で、みんなに娘を育ててもらいました。
家で子どもと二人のときに泣かれると、ずっと抱っこして、夫が帰るまでトイレにも行けず、ご飯も食べずに抱っこし続けて、子どもはまだ話せないし目線も合わないし、あのまま家にいたらノイローゼになったかもしれません。保育園に預けたら先生に相談できるし、学内にあるので、電話がくると授乳をしに行きました。離乳食を作ったのに食べてくれなかったとき、保育園の先生に相談したら「ごはんの時間に食べたそうにいすから体を出しているから持ってきて」と言われて、園に届けたら娘が完食した、ということもありました。
また、預けるときに、「頑張って仕事を早く終わらせて迎えに来るからごめんね」と送り出された子どもより、「みんなとたくさん遊べて楽しいよね」と送り出された子どもの方が安心してすぐに泣きやむ、と保育園の先生に言われたので、いつもそうするように心がけていました。周りに小さいお兄さん、お姉さんがたくさんいたことが、娘にとっては良かったようです。
娘が8カ月のとき、フランスのストラスブールに半年ほど留学しました。妊娠前に決まっていて、出産で難しいかもと思ったら、私のボスが「子どもを連れて全然行けるわよ」と。応募するときも、同じ研究職の夫が「僕がついていきます」と言ってくれて、夫も向こうで研究をしました。
福井で娘を産んだときにお手伝いしてくださっていた方にも現地に来ていただいて、その方は海外が初めてでパスポートも持っていなかったんですけど、近所の人たちとは日本語とフランス語で話していて、すごいなぁと思いました。娘のおむつ交換でも、私は黙々と手早く替えていましたが、その方は娘に「気持ちいいね」と常に言葉をかけながら替えていて、両親だけで育てちゃいけない、というのは、こういうことなんだと実感しました。
――名古屋大では学童保育をつくりました。
子どもが3歳のときに夫が名古屋に転勤することになって、私も名古屋大に移りました。夫の母はずっと働きながら子育てをしてきて、「10歳ぐらいまでは、自分の給料は子育てと仕事を両立させるサポートのために使いなさい。それは自分のキャリアへの投資だから」と言ってくださったんですね。それもあって名古屋では、子どもの送り迎えや家事はシルバー人材センターにお願いしました。私だったら娘の手を引っ張って5分で歩くところを、シルバーの方々は1時間かけて子どもの好きな道を一緒に歩いてくださったり、運動会にも来ていただいたり。我々が仕事をできたのはその方々のおかげですし、新たな家族が増えたような感覚でした。
名古屋大で「学童保育をつくりたい」と言ったら、最初はみんな「え?」という反応だったんですけど、研究と一緒で、何がダメかを聞いて、新しい提案をして、クリアする方向へ持っていったら、「これは必要だね」という話になって、つくることができました。娘が1歳ぐらいのときにいろんな病気に一気にかかって1カ月に3日ぐらいしか保育園に預けられなくて、仕事を続けられるのか不安だった、という経験をしたので、名古屋大では病後児保育もつくりました。自分が大変だったことは、ほかの人たちが同じ思いをしないようにできればと思っています。その意識は、今も変わりません。
2015年6月、当時小学6年生だった長女のお迎えをしていたときの佐々木さん=名古屋市千種区、朝日新聞社・吉本美奈子撮影
性差を新発見のチャンスに
――ジェンダード・イノベーションの概念を学ばれる中で、衝撃を受けたことがあったそうですが。
「動物実験で雄を使いなさい」とずっと言われてきて、それがおかしいと気づかなかったことが、すごくショックでした。女性活躍推進の活動などもいろいろやっていたのに、正しいことや真理を追い求める科学者なのに、雄だけでやっていたらダメだという単純なことに気づかなかったんです。
――動物実験は雄だけで行われていたんですか。
これまでずっとそうです。今も、生物や医学分野の動物実験は「雄を使いましょう」と言われることが多いです。欧米ではジェンダード・イノベーションの考え方が浸透して、科学雑誌に論文を投稿するときは、その点を考慮しないといけないという文言が入って、変わってきましたが。
――雌には生理の周期があるから、でしょうか。
そうです。データを取る時期によってぶれる可能性があると。データをいくつも取って、それがどの時期かを確認しないといけないので、実験も複雑になり、手間もかかり、お金もかかります。産婦人科など生殖系の研究はこれまでも雌を使ってきましたが、それ以外は、雄と雌は一緒だろうという前提で実験が行われていることが多いです。でも実際はそうではない、ということがわかってきて、逆に新しい発見の大きなチャンスが生まれています。
10年ほど前、雄と雌では痛みの経路が違うことがわかりました。軽い刺激で雄がすごく痛がる知覚過敏の実験があって、ずっと雄でデータを取っていましたが、同じ実験で雌を使ったら痛がらない。この仕組みには、性ホルモンや免疫細胞が関わっていることがわかってきています。ほかにも、女性の体の仕組みで解明されていなかったことが少しずつ明らかになってきています。
細胞にも性によって差があることがわかってきました。子宮を含む女性特有の臓器が男性と違うことはわかりやすいですが、痛みの感じ方や、ほかの臓器自体にも差がある。薬の効き方も男女で違うことがあります。
研究に新しい視点をどう取り入れるかによってオリジナリティーが生まれるので、性差について考えることはすごく大切です。例えば骨粗鬆(そしょう)症は女性の病気と思われがちですが、75歳以上になると患者の3分の1が男性です。多様な幸せを実現できる社会のために、まず、研究自体を深めて、社会を変えていくことが必要だと思っています。
日本の現状と目標は
――今年の世界経済フォーラムによるジェンダーギャップ指数で、日本は146カ国中116位でした。日本の状況はコロナ禍で悪化したと言われています。
国連は今年9月、「完全なジェンダー平等の実現に、現在のペースでは300年近くを要する」とする報告書を公表しました。コロナ禍でもアメリカやイギリス、フランス、ドイツのジェンダーギャップ指数は改善していますが、日本は後退。ここまで伸ばすのに日本では時間がかかったのに落ちるのは早く、女性という弱いところにコロナ禍の影響が出てしまっています。それでも10年前より良くなってはいますが、自助努力だけでは限界があります。女性活躍と言っても、企業の女性役員はまだ少ないですし、地方に行くと全然変わっていなかったりします。
ジェンダード・イノベーションについても地方のみなさんの意識が変わって、みんなで解決していきましょう、という感覚を男性にも持ってもらいたいですし、男性に関しても見過ごされていることがないかを考えるきっかけになれば、と思います。ジェンダード・イノベーションにはLGBTQ+の人たちももちろん含まれますし、民族や人種、年齢などの掛け算、交差性も近年は重要視されています。
――具体的な目標はありますか。
昨年、フェムテックが流行語大賞にノミネートされましたよね。ちょっとミーハーかもしれませんが、多くの人に知ってもらうことは大切なので、次はぜひジェンダード・イノベーションを(笑)。そして、概念を知ってもらうこと。実際に技術開発をしたり商品を売り出したりする前に、まず、大勢に知ってもらうだけでも、かなり大きな意識改革につながります。例えば、医薬品の副作用が女性に強く出ると聞いたら、「それは解決しなきゃ」と反応しますよね。そういうこともきっかけにしつつ、少しでも広く、多くの人にジェンダード・イノベーションを知ってもらいたいと思っています。
- 佐々木成江(ささき・なりえ)さん
- 1970年、福井県生まれ。1993年、お茶の水女子大学理学部卒業。1998年、東京大学大学院理学系研究科博士課程修了。博士(理学)。ポスドクを経てお茶の水女子大学にて理学部助手、大学院人間文化研究科特任講師。夫と共に名古屋大学に赴任し、同大の男女共同参画室特任准教授、大学院理学研究科准教授を経て、2019年に名古屋大学とのクロスアポイントメントでお茶の水女子大学准教授/学長補佐に着任し、ジェンダード・イノベーション研究所の設立に尽力。2022年からお茶の水女子大学ジェンダード・イノベーション研究所特任教授。現在、内閣府男女共同参画会議の計画実行・監視専門調査会委員も務める。趣味は「福井藩の松平春嶽公と橋本左内先生について学ぶこと」。
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◆ジェンダード・イノベーション(Gendered Innovations)
2005年、米スタンフォード大学のロンダ・シービンガー博士は積極的に性差分析を行い、科学技術分野における研究・開発のデザインに組み入れることで「知の再編成再検討」を促し、イノベーションを創出することをめざす概念として、「ジェンダード・イノベーション」を提唱しました。2009年に同大でGendered Innovationsプロジェクトが始動し、欧米を中心に広まっています。
性差分析により、①男女で効き方が異なる薬品があること、②骨粗鬆症は女性だけの病気ではないこと、③乗用車のシートベルトは男性の体形を前提に開発されており、女性の方が重症を負う確率が高く、妊婦が事故に遭ったときの胎児の死亡率が高いこと、④AIアシスタントの音声は女性の声が多いことなど、さまざまな事例が明らかに。改善のための研究や開発が進められています。
取材&文=朝日新聞社 Aging Gracefullyプロジェクトリーダー 坂本真子
写真=佐々木成江さん提供
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