坂本真子の『音楽魂』
長山洋子さんインタビュー
演歌転身から30年、今もレッスン第一
「たった一人だけに向けて歌うと届く」
Special 音楽 ライフスタイル
[ 23.02.20 ]
最近、音楽を聴いていますか。
振り返れば、あなたにもきっと、歌やメロディーに励まされ、癒やされた思い出があるはず。40代、50代になっても、これからもずっと音楽と一緒に過ごせますように。
そんな願いを込めて、子どもの頃から合唱曲やロックを歌い、仕事でも関わってきたAging Gracefullyプロジェクトリーダーの坂本が、音楽の話をお届けします。
歌手の長山洋子さんにとって2023年は、アイドルから演歌歌手に転身して30年、という節目の年になります。今年1月に記念ベストアルバム「長山洋子 ベスト&カラオケ」を発表。3月5日に開催されるAging Gracefullyフォーラム2023「女性の自分らしい生き方とは」にゲスト出演されるのを前に、歌手としてのこれまでの歩みと音楽への思いを聞きました。
長山さんは1984年4月、16歳のときに、シングル「春はSA-RA SA-RA」でアイドル歌手としてデビューしました。でも実は直前まで、演歌歌手としてデビューするための準備が進められていました。
「作曲家の市川昭介先生のお宅に1年間レッスンに通って、16歳で演歌のデビュー曲も決まって、さあレコーディング、というときに、『洋子が演歌を歌うにはちょっと若すぎる』『演歌は何歳でも歌えるから、最初はアイドル歌手でデビューさせよう』ということで、急きょアイドルデビューが決まったんです。本当に急な話だったので、『大丈夫かな』という不安しかなかったですね」
「ちょうどアイドル全盛の時代で、同期でアイドルデビューしたほかの子たちは完璧に仕上がっていました。荻野目洋子ちゃんもデビューは同期で、彼女たちはずっとアイドルのレッスンを重ねてデビューしているんです。でも私は、つい昨日まで演歌のレッスンをしてきたので、アイドルのダンスや立ち居振る舞いが全くわからなくて、最初はなかなかなじめませんでした」
1986年、バナナラマの曲をカバーした「ヴィーナス」が大ヒット。88年には映画「恋子の毎日」に主演するなど、俳優としても活躍するようになりました。
そしてデビュー10年目の1993年、25歳のときに発表したシングル「蜩-ひぐらし-」で、長山さんは演歌歌手としての道を歩み始めます。キャッチフレーズは「演歌元年」。アイドル歌手からの転身でも注目され、その年のNHK紅白歌合戦に出場しました。95年のシングル「捨てられて」もヒットし、冒頭の「でもね」ポーズが話題になりました。
「アイドル時代があっという間に10年経って、そろそろ演歌に転身してみないか、という話が出たんです。でも、10代後半から20代前半にかけての10年は、結構長いんですよね。すぐに演歌を歌う気持ちに切り替えることがなかなか難しくて。アイドルだけでなく俳優のお仕事も、幅広くいろいろなことをやらせてもらっていたので、演歌歌手になれるかな、という不安は大きかったんですけど、そんなに急ぐことはないとスタッフが時間を作ってくれたので、ゆっくり考えながら準備することができました」
「私にとっては、当時の担当のプロデューサーの方がとても大きな存在でした。毎日一緒にレッスンして、演歌を歌っていくための、アイドル時代にはなかった心構えや立ち居振る舞い、精神的なものをしっかりと丁寧に指導してくれたので、時間とともに不安がなくなりました。このチャンスを逃したら、もう二度と歌謡界で生きていけないだろうという覚悟もできてきて、そこからがスタートでしたね」
アイドルと演歌歌手には大きな違いがあると、長山さんは言います。
「私が小さい頃からテレビで活躍されていた大御所の演歌歌手の方たちと並んで歌うわけで、自分ではきちんと振る舞っているつもりでも、お行儀がちゃんとできていないとか、あいさつができてないとか、人として基本的な、親から教えてもらうようなことから始まって、歌に向き合う姿勢も変わりました。アイドル時代はキャラクターや衣装、ダンスもトータルで見せていましたが、演歌の世界は、歌詞をしっかり理解することが大切。歌がほぼ全てを占めているので、同じ歌謡界でも全然違うんだな、と感じました」
津軽三味線と民謡が原点
長山さんが音楽と出会ったのは、4歳の頃。父親が通う民謡教室に一緒に行ったことがきっかけでした。
「もともと歌は好きだったんですけど、たまたま出会ったのが民謡で、民謡を覚えて、小学4年生でビクター少年民謡会に入ったのが私の歌の原点です。そこで三味線も習いました。中学生になった頃から、歌手になれたらいいな、と思うようになったんです」
子どもの頃に民謡の歌や三味線を学んだことが、演歌歌手として活動する中でも生かされました。
「演歌歌手になった頃の最初の目標は、劇場での座長公演でした。周りと同じことをやっていてもだめなので、座長公演をかなえるために、ほかの人がやっていなくて何か披露できるものを、と考えて、そういえば三味線を弾いていた、という話になったんです。もう一回やってみようと。すぐにできるとは思いませんでしたが、小さい頃に習ったものは手が覚えているんですよね」
三味線のお稽古には、小学4年生から中学3年生まで毎週通っていました。長山さんは現在、津軽三味線・民謡の澤田流の名取です。
「やめなくてよかったな、と思いました。弾けるなら絶対に座長公演で披露しよう、ということになり、その目標がかなった初の座長公演では、津軽三味線の立ち弾きで歌いました」
このときの津軽三味線の立ち弾きがかっこいい、と評判になり、オリジナル曲を作ることになりました。そして生まれたのが、2003年に発表し、ロングヒットになった「じょんから女節」。津軽三味線を立ったままで激しく弾き、歌う姿は、演歌のジャンルを超えて広く注目されました。
今年1月に発売した演歌転身30周年記念のベストアルバム「長山洋子 ベスト&カラオケ」には、30年間に発表した曲の中からカラオケで人気の16曲を収録。長山さんの30年間の歩みが凝縮されたCDで、代表曲の「蜩-ひぐらし-」や「捨てられて」「じょんから女節」も聴くことができます。
CD2枚組み「長山洋子 ベスト&カラオケ」4400円(税込み)=写真はビクターエンタテインメント提供
演歌を体になじませるために
長山さん自身は、演歌を歌い始めてしばらくの間は演歌しか聴かないようにしていたそうです。
「演歌に転身しても、アイドル色がなかなか抜けなかったんです。絶対にアイドル時代の歌は聴かないと決めて、アイドルの歌も歌わないと自分で決めて、常に生活に演歌を、体になじませていくように時間をかけました」
一方、演歌歌手として活動する中で、テレビ番組の企画などで演歌以外のジャンルの歌をリクエストされることも増えました。
「アイドルをやっていたので、ポップスのオーダーが来ても、すっと歌えるんですよね。アイドルの10年が役に立っていると感じます。演歌も30年歌ってきて、そのときどきの時代の歌をちゃんと取り入れていかなければいけないのかな、と今は思いますし、今まで挑戦したことのないジャンルの歌にもトライしようと、意識も変わってきました」
長山さんは現在、毎週日曜朝5時30分から放送中の音楽番組「洋子の演歌一直線」(テレビ東京系)にレギュラー出演しています。
「番組から定期的に自分の持ち歌以外の曲をリクエストされるので、その都度必ずレッスンを入れます。新曲を出すときも、自分で練習して、どうしてもわからないときはレッスンを入れてもらいます。スポーツ選手もそうですけど、やっぱり基本はレッスン。トレーニングをしていないと絶対ダメだと思っているので、レッスンは大事です」
演歌歌手として30年歌い続けてきた今も、レッスン第一。とても真摯(しんし)に歌と向き合う姿勢が伝わってきます。
「演歌のこぶしや節回しは人それぞれに全部違って、同じようにこぶしを回しても、みなさんそれぞれ微妙に回し方が違うんですね。それがその人の個性や味につながると思います。私のように民謡をやっていた人は、演歌を歌うと、よけいな節が回りすぎたり、こぶしを入れないで歌うことに苦労したりするんです。また、同じ歌を何百回、何千回と歌うと、歌が崩れてきたり、歌い慣れてしまって聴いている人に届かなかったり、という波が必ずあります」
そんな波を乗り越えて歌うために大切にしていることがあると、長山さんは言います。
「お客様の前で歌うときはいつも、『100人いる中の一人にだけは絶対に伝わる歌を歌う』と思っています。最初のプロデューサーから教えてもらったことで、これは一番の基本です。『お客様が100人いたら、100人にわかるように歌っても絶対届かないぞ。この人、という100人の中のたった一人だけに向かって歌うのが一番お客様には届くぞ』と、教えてもらいました。それは今も、本当に大事だな、と思いますね」
「ステージでちょっと迷ったり、調子が出なかったりすることもあります。そんなときは、目線の先にいる一人だけのために歌おうと。それで気持ちも楽になるんですよ。客席は暗いので頭ぐらいしかわからないですけど、この人、と決めて、そこに向けて歌うと、気持ちがふらつかず、きちんと定まって歌えるんです。困ったときはいつも思い出します」
家族を大事に、元気で健康に
長山さんは普段から、のどの調子を保つために、水を飲むことを心がけています。
「意識しないとあまり水を飲まないので、まず、朝起きたら最初に必ず白湯(さゆ)を飲むようにしています。うがいよりはお水を飲む方が私にはいいみたいで、のどを潤すためにお水を飲みます。乾燥しないように、夜は乾いたタオルを口と鼻にかけて寝ます。よれよれでも自分にはすごく気持ちいいタオルが何枚かあって、首も冷やさないように、かけて寝るんです。寝相がいいので全然ずれないんですよ(笑)」
スポーツは子どもの頃から大好きで、今はテニスやスキー、スピードミントンというラケットスポーツも楽しんでいます。
「スキーは今年も何度も行っています。一度転ぶと体力を消耗するので、いかに転ばないように滑るか。以前は寒いのが苦手でしたけど、景色も素晴らしいし、今は、時間が合えば週末は滑りに行っています。スピードミントンは、スカッシュで使うような形のラケットを使って、シャトルはバドミントン。打つだけで、気持ちいいぐらいポンポンポンポンとラリーができるんです。当たったときはスカッと気持ちいいですよ」
今年12歳になる長女と一緒にサイクリングをすることも多いそうです。
「時間があるときは自転車で公園や買い物に行きます。普通なら絶対に電車かタクシーで行くような距離を、私たちは自転車で行くんです。私の自転車は電動ですけど、結構運動量があって、何時間もかけて汗をかきながら出かけます。『こんなところにこんな公園がある!』とか、『ここにイタリアンができたんだ。今度来ようね』とか、いろいろな発見がありますし、車では通れないような道を回って、寄り道したり遠回りしたりします。家族と一緒に過ごす時間は大切にしていますね。結婚して家族ができてから、家族を大事に生きていこうと、より一層強く感じるようになりました」
これからも長く歌い続けるために、健康には気を配っています。
「元気で明るく楽しく健康に、ということは大事にしています。ちょっと嫌なことがあっても引きずるのではなくて、終わったこととして、別の楽しいことを考えます。せっかくこうして生きているので、これからも楽しく、元気で健康に過ごしたいですね。歌も、声の続く限り歌いたいと思っています。『じょんから女節』の津軽三味線の立ち弾きはすごく体力を消耗するんですけど、私は今55歳で、80歳まで三味線を立ち弾きで歌いたい。そういう目標を立てたら、私の津軽三味線の師匠が二回り上で、今年で79歳になるんです。25年後、師匠は104歳になりますけど、いけると思っています(笑)」
2019年、長山さんは乳がんと診断され、手術を受けました。病との闘いを通して感じたことや、自分らしく生きるために心がけていることなどを、3月5日に東京・築地の浜離宮朝日ホール・小ホールで開催した「Aging Gracefullyフォーラム2023」でお話ししていただきました。そのときの模様は下記からお読みください。動画もアーカイブ配信しています。
>>Aging Gracefully フォーラム 2023「女性の自分らしい生き方とは」〈セッション2〉長山洋子さん、乳がんと診断されて「50代で一番大きな決断が手術」
取材&文=朝日新聞社 Aging Gracefullyプロジェクトリーダー 坂本真子
写真=伊ケ崎忍撮影
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◆「今さらねぇ」
2022年9月発売の最新シングル。長く連れ添った夫婦が晩酌をしながら会話を交わす、ほのぼのとした温かい雰囲気で、サビの最後の「今さらねぇ」が印象的な曲です。
1.「今さらねぇ」
2.「夢桜」
1350円(税込み)◆長山洋子オフィシャルサイト https://www.jvcmusic.co.jp/yoko/
◆長山洋子オフィシャルブログ https://ameblo.jp/yoko-nagayama/
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