Dr. HisamichiのKeep On Walkin’
スペシャル対談 Vol.8
ラクロスプレーヤー山田幸代さん「次世代のために」
Special 対談 スポーツ キャリア ライフスタイル ヘルスケア 学び
[ 24.02.28 ]
日本ラクロス界の第一人者として世界大会でも活躍し、現在は国内外の様々なチームの強化に携わりながら競技普及を進めている山田幸代さん。2028年のロサンゼルス五輪では、ラクロスが120年ぶりに正式種目として復帰することが決定しました。日本発のラクロスの国際大会「SEKAI CROSSE」の運営代表としても忙しい日々を送られている山田さんと、「下北沢病院」の理事長・医師、久道勝也先生が、その道のパイオニアとしての思いを語り合いました。
- 久道
- 山田さんは現在、ラクロスという比較的新しいスポーツを世の中に定着させていく役割を担っていらっしゃいますが、社会的認知度がまだこれからという点で、私が携わっている足の医療の領域とも共通点があると感じています。ラクロスは2028年ロス五輪の正式種目に見事決まりましたが、山田さんはどのような形で関わってこられたのでしょうか。
- 山田
- アメリカで始まったラクロスは、まだ世界的にみてもマイナースポーツです。私は2019年から2022年まで、ラクロスの国際的なルール作りをする「世界ラクロス協会ルール委員会」のサブコミッティーチェアマンを務めていました。ラクロスは10人制で行うスポーツですが、五輪種目になるためには、人数の見直しからルールを作り直す必要がありました。もちろん、変化を嫌がる人たちも少なくありませんでしたが、6人制の競技として五輪種目を目指し、ラクロスの魅力を広く伝えていく方法を取りました。
- 久道
- ルールを変えることには反発も少なくなかったでしょう。新しい領域を社会に根付かせるには大きなエネルギーがいりますが、選手時代から振り返って、山田さんのラクロスに対するモチベーションはどこにあるのでしょうか。
- 山田
- 実は、私個人は「ラクロス選手の中で一番うまくなりたい」と思ったことも、「ラクロスで有名になりたい」と思ったこともありません。では、なぜ私がラクロスをやっているかというと、「子どもたちの選択肢を増やしたい」「若者の可能性を広げる機会を作りたい」という思いが根本にあるからです。日本初のプロ選手になってラクロスを知ってもらう、日本チームを強くして興味を持ってもらう、国際大会を開催してトップ選手を見る機会を作る、それによって子どもたちに「ラクロスをやってみたい」と思ってもらうことがうれしいんです。
子どもたちの可能性や選択肢を広げたい
- 久道
- 「子どもたちの選択肢の一つとしてラクロスを存在させたい」というのが核にあって、そのための一つの方法としてメジャースポーツにすること、さらにその象徴の一つが五輪種目になることなんですね。
- 山田
- はい。だからこそ、4年間でルールを作りました。私がチェアマンを任せられた理由の一つとしては、欧米のメンバーは主張が強くお互いが当たってしまうなかで、私は日本だけではなくアメリカ、オーストラリアでもプレー経験がありバランスが良かったということだと思います。
- 久道
- 日本人がアジアの大国としてグローバルカンファレンスにボードメンバーとして入ることは多いと思いますが、欧米相手にチェアマン役をすることは極めて少ないですよね。山田さんにはその能力があったため、貴重な経験ができたのでしょう。学ぶことも多かったでしょうね。
- 山田
- 五輪種目として採用された6人制ラクロスでは、強豪国ではなくてもメダルが取れるようなルールを検討しました。10人制よりもスピーディーな展開が生まれ、その結果、2022年に6人制の「ワールドゲームズ」で日本の男子代表チームが銅メダルを獲得して、ラクロス協会の人たちには「おめでとう」よりも先に、「こんなに面白いルールにしてくれてありがとう!」と言われたんです。
- 久道
- 医療の世界でも、病気に関するガイドラインルールはまず欧米が作っていて、日本のガイドラインはそれに沿って作っているところもあります。私もグローバルカンファレンスで司会をする機会がありましたが、日本人は基本的に黙っている。そういう意味でも、山田さんの経験は希少だと思います。国内での調整もご苦労があったでしょうね。
結果よりも過程に重きを置く
- 山田
- 海外での調整よりも、むしろ日本の方が難しかったですね。海外の方が結果を認めてくれるし、フィードバックも早い。日本は対話も少なく、固定概念を覆す勇気がないと感じるシーンが多かったです。
- 久道
- わかります。私も日本では自分のやりたいことを説明しても、全体の潮流と違う時は歯牙(しが)にもかけられませんでしたが、アメリカでは「当然やるべきだよ!」と言ってもらえた。日本の中ではロジックで勝ってもダメなところがあるので、戦い方を変えなくてはいけないですよね。
- 山田
- 先生のご専門の分野でも、日本と海外で何か違いがあるのですか。
- 久道
- 足病医が足に関するすべてに対して診療できるアメリカ型と、足といっても皮膚科や整形外科などの各診療科で診る日本型の違いがあります。アメリカ型を目指した当病院では、足の病気をすべて診るスタイルをとりつつ、アメリカよりも各科の専門性が高いと自負しています。ただ、そうなってくると時には他の診療科とのコンフリクトも起きます。こうした領域争いはどこでも同じです。山田さんは今のお仕事で心掛けていることはありますか。
- 山田
- 私は、結果よりも過程に重きを置くやり方に変えていきました。2017年に立ち上げた世界大会「WORLD CROSSE(現・SEKAI CROSSE)」に向けては、若い人たちと一緒に大会の価値を創(つく)っていくというビジョンを立てて進めました。実際、学生がどんどん成長している姿を見て「これが私のやりたかったことだ!」と思います。こちらが機会さえつくってあげれば、あとはそれぞれが伸びていき、最終的に私のやりたかったことに到達すると気づきました。
- 久道
- 教育者に近い活動ですね。
- 山田
- そうですね。今年3月に神奈川県で「SEKAI CROSSE」が開催されますので、自分がスポーツを通じて学んできたものを伝えていきたいです。勝つことだけではなく、人として成長できるスポーツの価値にも気づいてほしい。視野を広げられずセカンドキャリアで困ってしまう選手も多いなか、そこを伝えていくことを意識しています。
数々の失敗と反省を糧に
- 久道
- 山田さんには強力なメンターはいましたか。
- 山田
- 一番のメンターは、オーストラリアのラクロス代表監督です。オーストラリア代表を選出するトライアウトにチャレンジした後に、受かった時も落ちた時も必ず理由をフィードバックしてくれました。印象に残っているのは「あなたは情報をたくさん収集できるので、その情報を整理できたらもっと成長するし、表現力も豊かになる」という言葉。そう言われてから、情報の整理を意識するようになりました。
- 久道
- これまでの人生での決定的瞬間は。
- 山田
- オーストラリアに渡ってから8年かけて代表に選ばれた時、監督から直接電話で伝えられ、自分をコントロールできないくらい泣いてしまいました。
- 久道
- ラクロス強豪国のオーストラリアで、しかも日本人で代表に選ばれるという快挙でしたね。
- 山田
- その前の日本代表では、レギュラーを外れた時に自分のことしか考えられていなかったという後悔を抱えていました。オーストラリアで何度もチャレンジして代表になってからは「ここがゴールではない」と自分の中で冷静に考えることができました。そのとき私はケガをしていたので、監督に「私は満点のプレーができないからスタメンから外してください」と自ら言うことができたんです。何十年とラクロスをやってきて、正しい決断と仲間を信じる行動ができた。これまで学んだことを行動に移せた瞬間でした。
- 久道
- 自分よりチームを優先させる決断ができた。大きな成長ですね。
- 山田
- これまで数々の失敗と反省がありました。高校時代はバスケ部で、仲間に対して「けがをして試合に出られない人にはわからないでしょ」と言ってしまったことがありました。その時「けがをしていないあなたにも私の気持ちはわからないでしょ」と返され、「なんて最悪のことを言ったんだ」と反省し、それからは人の痛みがわかる人になりたいと思って生きてきました。
オーストラリアに行った直後も、伝えたいことが伝えられない悔しさに大泣きしたことがあります。その時は、オーストラリア人の親友が「電子辞書を持ってきて、あなたの言いたいことを何時間でもかかってもいいから私に言いなさい。それを私が皆に伝えるから」と、懇々と私の話を聞いてくれた。思いを表現すること、受け止めることの大切さを学びました。
- 久道
- そのような経験があって、最終的には国際会議でまとめ役をするまでが一つのラインとしてつながっているように思えます。成功からよりも失敗からの方が圧倒的に学びは大きいですね。これからも若い人に対して、ご自身の経験や思いをどんどん発信していってほしいです。本日はありがとうございました。
- 山田
- ありがとうございました。
- 山田 幸代(やまだ・さちよ)
ラクロスプレーヤー
1982年生まれ。中学、高校時代はバスケットボール部に所属。京都産業大学在学中にラクロスに出会い、競技を始める。ラクロス歴1年で年代別の日本代表に選出され、2005年には日本代表としてワールドカップに出場し、5位入賞。07年9月にプロ宣言。08年にオーストラリアのチームに移籍。2017年ワールドカップではオーストラリア代表として出場し4位に。日本ラクロス界の「パイオニア」として、現在は国内外の様々なチームの強化に携わりながら競技普及を進める。株式会社Little Sunflowerの代表取締役社長として、日本発のラクロス国際大会「SEKAI CROSSE」の大会運営代表も務める。
◆3月20日開催「レモンガス SEKAI CROSSE 2024」の情報はこちら
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