坂本真子の『音楽魂』
岡村孝子さんインタビュー〈前編〉
定期健診で見つかった急性骨髄性白血病
闘病乗り越え、歌に込めた「ありがとう」
Special 音楽 ライフスタイル ヘルスケア
[ 22.07.27 ]
最近、音楽を聴いていますか。
振り返れば、あなたにもきっと、歌やメロディーに励まされ、癒やされた思い出があるはず。40代、50代になっても、これからもずっと音楽と一緒に過ごせますように。
そんな願いを込めて、子どもの頃から合唱曲やロックを歌い、仕事でも関わってきたAging Gracefullyプロジェクトリーダーの坂本が、音楽の話をお届けします。
シンガー・ソングライターの岡村孝子さん(60)は、ソロデビューから36年余り。女性デュオ「あみん」でデビューし、「待つわ」が大ヒットしてから今年で40年になります。2019年春に急性骨髄性白血病と診断されましたが、およそ5カ月間の入院と、その後の休養を経て、2021年9月に復帰コンサートを開催。今年12月には東京、名古屋、大阪でライブを行う予定です。そんな岡村さんがいま感じていること、音楽への思いなどを聞きました。インタビュー前編では、病との闘いについて語ります。
今年5月21日、千葉・松戸の森のホール21で「岡村孝子コンサート2022 “ T’s GARDEN” 」の松戸公演が開催されました。その冒頭、1曲目を歌い始めた岡村さんは涙をこらえきれず、何度も声を詰まらせました。
「昨年の復帰コンサートのときはリハーサルで大泣きをしたので、本番は昼寝から目が覚めた子どもみたいに、ほんわかした感じで歌えたんですけど、今回はそこからまた先に一歩進んで、本格的なコンサート活動再開ととらえていたので、本当に戻ってこられたんだな、と歌いながら感じたことと、観客のみなさんが涙を流されているのを見たことで、私も泣いてしまいました」
検査結果に「これはおかしい」
2019年4月、岡村さんはオフィシャルサイトで、「『急性白血病』と診断され、急遽、長期の治療に入ることになりました」と公表しました。同時に、6~7月に予定されていた、毎年恒例のコンサートツアー「T’s GARDEN」4公演の中止も発表されました。
「病気がわかったきっかけは、2019年1月に受けた消化器内科の定期健診です。前年12月のコンサートが終わったとき、普段は6000/μLぐらいある白血球が4000/μLぐらいに下がっていたんですけど、ツアーで疲れたのかな、ということで、次は半年後に健診を、という話になって。でも、その場に居合わせた母が『半年では心配なので3カ月後にお願いしたい』と言ってくれたんです。そして3カ月後の4月の健診で白血球が1700/μLぐらいに下がっていて、もう一度調べてもらったらさらに低くなって、先生に『これはちょっとおかしい』と言われて、血液内科でもっと詳しい検査を受けました。ツアーの後はいつも疲れるので、ちょっと自分のキャパよりも頑張りすぎちゃったかな、という自覚があったし、魂が自分の中から抜けていくみたいな感じもあったので、時間がたてば回復するのでは、と期待していました」
実は岡村さんはその年の3月、金沢の兼六園に家族で出かけた際に、歩けなくなる、という経験をしていました。
「すごく寒くて、疲れもたまっていたせいか、足がつってしまって、全然動けなくなってしまった、ということがありました。これはどこかがおかしいのかもしれない、と感じていた矢先に、健診を受けて数値の異常がわかったんです」
血液内科での検査から数日後、病院から電話があり、「骨髄穿刺(せんし)をしますので、心の準備をしてください」と伝えられました。骨髄穿刺とは、腰の骨に針を刺し、骨の中にある骨髄組織をとる検査のことです。
「骨髄穿刺をしたら、がん細胞はまだ血管まで届いていなくて、骨の中にとどまっている初期の段階だとわかりました。でも、かなりたくさんあって、もう少し進行すると倒れて動けなくなって救急車で運ばれる、という状態だったそうです」
そして、血液のがんである、急性骨髄性白血病と診断されました。
「私はまだ元気で、その週は2回ぐらいデパートに行って買い物をしていたんですけど、白血球の数値が落ちているときに人混みを歩くのはかなり危険なことなんですよね。その場で先生に『マスクをしてください』と言われて、通常はすぐ入院なんですが、とりあえず、身の回りの用意をさせてください、とお願いして1日だけ猶予をいただいて、ウィッグを作りに行きました」
翌5月には6年ぶりの新アルバム「fierte」(フィエルテ)の発売が決まり、プロモーション活動の予定もたくさん入っていました。また、6月に行われる「第70回全国植樹祭 あいち2019」の大会イメージソングの制作を委嘱され、その曲「と・も・に」を天皇陛下の前で歌う予定もありましたが、全てをキャンセルすることに。
「大変なことになっちゃったな、これからどれだけ多くの方に迷惑をかけてしまうのかな、と思って相談したんですけど、先生には『命が危ないのですぐに入院してください』と言われて、驚きました。白血病には、わりと治りやすいタイプと、治りやすくも治りにくくもないというタイプ、すごく経過が早いものなど、さまざまなタイプがあるんですね。私は骨髄性で、治りやすくも治りにくくもないタイプだったので、治療によってどんな結果が見えてくるかによって、その先の治療法を決めていくことになりました」
「人間をやめてもいいですか」
入院の翌週から抗がん剤治療が始まりました。その前に全身をくまなく調べて、体が抗がん剤治療に耐えられるかどうかを確認。抗がん剤で口の中が荒れるため、口腔外科のチェックも受けました。
「虫歯の治療中だと抗がん剤治療を受けられないかも、という話があったんですけど、『なんとか頑張ります』と口腔外科の先生が言ってくださって。口の中はかなりただれたり、口内炎ができたりしましたけど、こまめにクリーニングなどをしていただいて、本当にありがたかったです」
治療中には、「年を越したら、この世に私はいないんじゃないか」と、絶望的な気持ちに襲われることもありました。
そして、岡村さんの治療結果を見た医師から、「移植をしなければいけない」と告げられます。「移植前には白血球をゼロにするために、前処置として通常の5倍以上の抗がん剤を入れるので、それによって免疫力が落ちて、感染しやすくなるなど大変だとは思いますが、頑張りましょう」とも言われました。
「当時の日記を見ると、吐き気や耳鳴り、頭痛などの副作用はとてもきつく、頭痛の波がジェットコースターのように毎日襲ってきて、耳にはヘビーメタルのエレキギターのような、携帯電話の着信音のような音がずっと鳴っていたようです。その頃、週1回の教授回診で『今どんな気持ちですか』と聞かれて、『人間をやめてもいいですか』と答えていました」
幸いにも抗がん剤が効いて完全寛解の状態になり、2019年7月、バンクを通じて、臍帯血(さいたいけつ=赤ちゃんのへその緒や胎盤にある血液)の移植を受けます。近畿地方の男の子の臍帯血だったと聞きました。
「移植をしたら耳鳴りの音が全部ピタッと止まったんです。先生には『いい子ですね』と言われたんですけど、私は、ピタッと止まった瞬間に、曲を作ることも止まってしまったように感じて、曲を作れなくなったらどうしよう、と思いました。それは大丈夫だったみたいですけど」
移植の約2カ月後に退院。「このときも完全寛解の状態が続いていて、これが5年ぐらい続いたら大丈夫だと思ってもいいそうです。完治というのはないみたいですね」と岡村さん。およそ5カ月に及ぶ入院生活でした。
一歩ずつリハビリを重ねて
人間は長く寝たままでいると、歩く力が落ちます。入院日数が長くなるほど足が動かなくなると言われた岡村さんは、入院直後から足のリハビリを続けていました。また、入院中は身の回りのことをできるだけ自分でやると回復が早いと聞き、頑張っていましたが、あるとき突然、起き上がれなくなったそうです。
「退院後に調べたら、背骨を6カ所、『いつのまにか骨折』していました。3回目の抗がん剤の後、痛くて起きられなくなって。骨折がわかってからは半年間、胸の上までがっちりコルセットを巻いていました」
そんな状態でも退院後はリハビリを続けましたが、最初の頃は、散歩をしていて風が吹くと倒れそうになり、10段ほどの階段も上がれませんでした。手に力を入れられなくてペットボトルのふたを開けられなかったり、免疫力が落ちていて、ちょっとしたことで手にパクっと切り傷ができたり、ということもありました。
「翌年にはコンサートをやりたい、という気持ちがあったので、毎日ちょっとずつ、本当にちょっとずつ、散歩のコースを増やしていきました。そのうち少しずつ良くなって、ペットボトルのふたも開けられるようになって。翌年2月ぐらいにテレビに出演したんですけど、その映像を見ると、移植の影響で顔が腫れ上がっているんですね。病気になる、というのはそういうことなので、そこから徐々に回復していけたらいいなと思ったし、最初に病気を公表したときも、隠すのは私らしくないんじゃないかな、と思ったんです。病名を公表して闘病を始めたことで、たくさんの方に応援していただいて、自分でも、本当に闘うんだ、という心構えができたと思います」
暗闇で遠くに見えた明かり
闘病中は、大勢のファンや周囲の人たちからの応援が支えになりました。
「入院していた5カ月間は一つの部屋から出られなくて、窓はあっても建物で遮られて空があまり見えなかったので、季節がわからないし、ものすごい閉塞感や孤独感を感じていたんですね。そんなときにリスナーさんがSNSで『七夕に頑張ってください』と一斉にツイートしてくださったり、入院前に出させていただいたBS-TBSのテレビ番組が入院中に再放送されて、エンディングに、本放送のときはなかった『岡村孝子さん、闘病頑張ってください』という一言が添えられていたり。誰かが見ていてくれることがすごくうれしくて、みなさんの応援や言葉を見て号泣しましたし、万羽にもなるような千羽鶴も送っていただいて、そういう一つ一つが本当にありがたくて、暗闇の中で一人ひざを抱えているときに、遠くの方に見える明かりのように思えて、その明かりに向かって歩いていく、という思いでした」
退院の翌年、「女神の微笑み」という曲を作りました。2021年4月に撮影されたミュージックビデオでは、たくさんの花びらが舞う中で、岡村さんが語りかけるように歌っています。
「もし退院して歌うことができたら、『ありがとう』とみなさんに伝えたいと思っていました。『女神』はみなさんのことです。ありがとう、という気持ちをたくさん込めて作りました。ミュージックビデオをステージの上で撮影したときは、やっと戻ってこられた、と思いながら歌いました」
インタビュー後編では、岡村さんが音楽への思いや、これからめざすことについて語っています。
取材&文=朝日新聞社 Aging Gracefullyプロジェクトリーダー 坂本真子
写真=コットンフィールズ提供(ライブ写真は2021年9月7日、東京・LINE CUBE SHIBUYAで撮影)
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◆OKAMURA TAKAKO Special Live 2022 “ Christmas Picnic ”
2022年12月 3日(土) 東京・LINE CUBE SHIBUYA
2022年12月11日(日) 愛知・日本特殊陶業市民会館ビレッジホール
2022年12月24日(土) 大阪・サンケイホールブリーゼ
詳細は、https://okamuratakako.com/?p=37815◆「ENCORE IX」Blu-ray
『ソロデビュー35周年記念&復帰コンサート2021“Hello Again !”』(2021年9月7日 、東京・LINE CUBE SHIBUYA)を収録した6年ぶりの映像作品を発売中(税込み5500円)。岡村孝子オフィシャルサイト https://okamuratakako.com/
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