坂本真子の『音楽魂』
神野美伽さんインタビュー〈後編〉
心折れかけても再起、舞台で躍動する
「今日ここで歌っている。それが全て」
Special 音楽 ライフスタイル ヘルスケア
[ 22.10.12 ]
最近、音楽を聴いていますか。
振り返れば、あなたにもきっと、歌やメロディーに励まされ、癒やされた思い出があるはず。40代、50代になっても、これからもずっと音楽と一緒に過ごせますように。
そんな願いを込めて、子どもの頃から合唱曲やロックを歌い、仕事でも関わってきたAging Gracefullyプロジェクトリーダーの坂本が、音楽の話をお届けします。
演歌歌手の神野美伽さん。テレビの歌番組では着物姿で演歌を熱唱する一方で、国内外のロックフェスに参加し、米NYのジャズクラブで歌い、コロナ禍では自宅からYouTube配信するなど、活動の場を自ら切り開いてきました。11月25日には東京・丸の内のコットンクラブでライブを行う予定です。神野さんがいま感じていること、音楽への思いなどを聞きました。インタビュー後編では、健康のこと、これからのことを語ります。
1984年3月の歌手デビューから40年近く走り続けてきた神野さんですが、最近、心境に変化がありました。
「コロナのせいにはしたくないけれど、感染することへの恐怖と、経済が止まったことへの恐怖、精神的ストレスで、私だけじゃなくて、みなさん、体の不調を感じることが多かったと思います。そんな中でも動くことは大事だけど、動くと疲れますよね。以前は仕事が次々にあって休めなかったけど、コロナで止まったタイミングと同じくして、私自身の体の不調があまりにも続いたんですね。そこから、疲れたらちょっと休めばいいや、と思うようになりました」
昨年12月、左足の大腿(だいたい)骨頭が壊死(えし)して手術を受け、2~3週間のリハビリを経て復帰しました。しかし今年3月、今度は右足がしびれて歩けなくなる事態に。NHKの番組「バラエティー生活笑百科」最終回の収録で、3月上旬にNHK大阪ホールでテーマ曲を歌ったときは、立つこともつらい状況だったそうです。その翌日に博多でディナーショーを行い、車いすで東京に帰りました。
「右足が痛いだけでなく、あっという間に麻痺(まひ)してきたんです。3月10日の午後1時ぐらいに病院に行って、午後5時には手術室に入って麻酔をかけ始めていました。大腿骨が壊死したときの痛みとは種類が違う、比べものにならないような痛みでした」
腰椎椎間板(ようついついかんばん)ヘルニアによる急性麻痺で緊急手術を受け、約1週間で退院しますが、歩くことができず、4月2日に予定していた大阪・新歌舞伎座でのコンサートは中止に。
「今まで何度も手術を受けているけど、仕事にご迷惑をかけたことはありませんでした。でも今回は、大阪のコンサートを、延期じゃなくて中止。札幌のコンサートも延期して、お客様にも関係者のみなさんにも大変なご迷惑をおかけしているという実感がすごくつらかった。それでも復帰に向けてリハビリに励んでいる途中に、今度は、普通は切れないような場所の、左足の甲の指の腱(けん)が切れちゃったんです。それで4月にまたオペをして、そのときは、これはちょっともうダメかな、と思いました」
「何が何でもコンサートを」
神野さんは、2018年末に足の甲の骨が空洞化するリスフラン関節症などで両足を手術。2020年3月には、7個の頸椎(けいつい)のうち2個が化膿(かのう)したことによる頸椎化膿性脊椎炎(けいついかのうせいせきついえん)で、膿(うみ)を取り除いて腰の骨の一部を患部に入れ、チタンのプレートで固定してボルトで止める、という大手術を受けました。さらに今回は半年間に3度の手術を受けています。
「立て続けにこんな状態で、また起きるんじゃないかと、あまりいいことを考えられなくなって、すごく悲観的な時期が続きました。口には出さなかったけど、こんなに続くんじゃもう無理かなと、1日の半分ぐらいは思っていたんですね。でも、体が元気になってきたら心も元気になってきて、また歌いたい、という気持ちになった。体をケアすることは本当に大事なんだと、改めて感じました」
神野さんは2018年の手術以降、理学療法士のパーソナルトレーナーに指導を受け、リハビリとトレーニングに励んできました。今回もトレーナーの指示のもとでリハビリに取り組み、医師から「やり過ぎです」と言われるほどだったとか。それは全て、今年6月に東京・中野サンプラザで予定していたコンサートで歌うためでした。
「何がなんでもコンサートをやりたい、という思いがあったから、目標があったから、リハビリをがんばることができました。『6月はまだギプスをしている』というのが先生の見立てでしたけど、実際は、6月には歩いていましたよ。だから何よりもアドレナリンが一番効くんだと思って。コンサート当日は決してベストな状態ではなかったけど、歌い切ったことで自信を持てました。私はまだ全然諦めていません」
6月7日、「さあ、歌いましょう!」と題した中野サンプラザでのコンサートで、神野さんは全24曲を歌いました。第1部はラテン音楽のビッグバンド「東京キューバンボーイズ」のホーンセクションとの共演でジャズやラテン、ポップスを、第2部は演歌をじっくりと聴かせました。足の不安は全く感じさせず、とてもパワフルなステージで、終盤には「いろんなことがあった2年半でしたが、今日ここで歌っている。それが全てです」と観客に語りかけました。
残りの人生「やりたいことをやる」
神野さんが今、健康に過ごすために心がけていることは何でしょうか。
「理学療法士のトレーナーさんには定期的に家に来ていただいて、トレーニングをしています。体をチェックして、何かが起きていたら早く見つけてもらいたいし、動く力や歌う力もできるだけキープしていたいので。何もしないとサボっちゃいますから」
鍛え、整える一方で、自分を緩める時間も大切にしています。例えば、行きたいところに行く。会いたい人に会う。見たいものを見る……。
「そういう時間は今、自分でびっくりするぐらい持っていると思います。例えば、ちょっと時間があったら、自分の好きな場所で過ごしたり、好きな人がいるところに行ってお茶を飲んだり。この前は日帰りで京都へ行ってきました。好きなものの中でずっと時間を過ごしたり、コンサートを聴いたり、歌舞伎を見たり。少し前には初めて(坂東)玉三郎さんの踊りを見ることができて、立て続けに玉三郎さんのライブにも行って、そういうことに時間とお金を使うようになりました」
生活に緩急をつけ、「疲れたらちょっと休めばいいや」と思えるようになったのは、ここ半年余りのことです。
「あと少しでデビュー40周年ですけど、ここまであっという間だったし、自分があとどれだけ歌えるか、残りの人生を考えるようになったんです。できるだけ周りに迷惑をかけないで、その年なりの健康を維持していきたいと思うけど、自分の意思だけではなかなかかなわないことですよね。20年後は77歳。それまでにまたアメリカにも行きたいし、フェスでも歌いたい。そういう時間はどれだけあるのかと考えたら、本当に短いですよ。それなら、やりたいことをやるべきで、自分がやりたいことを優先しよう、というのが、この半年ぐらいで出た結論です」
「もちろん誰でも、自分がやりたいことを優先する人生が理想だけれど、なかなかそうは生きられないじゃないですか。私もこれまではどこかで帳尻を合わせて、自分のやりたいことをやるためには、そうでないことを何倍もやらなきゃいけないと自分自身を納得させて生きてきました。でも、もう甘くしちゃってもいいかな、と。今まで約40年一生懸命働いてきたので、残りの人生は楽しんで、納得して、一日一日を過ごしていきたいな、と思うようになりました」
高齢の両親の介護も、今後の人生を考える一つのきっかけに。
「父も母もいろいろなことがありますけど、そこはやがて私がいく道なんですよね。だから、いい見本なのだと思います。みんな、こういう風に繰り返していくのね、と。年を重ねていって、最期をどう終われるかは、今からの過ごし方で決まると思っています」
中国語、韓国語でも歌うCM
この秋、神野さんは忙しい日々を過ごしています。
10月7日に東京・赤坂のサントリーホールで行われたコンサートでは、ゲストの一人として東京フィルハーモニー交響楽団と共演し、「オホーツクの舟唄」など3曲を歌いました。9日には福島・猪苗代湖畔で開催されたロックフェス「オハラ☆ブレイク」に参加。ほかにも広島、岐阜、岡山など各地でイベントに出演する予定です。
11月25日は、東京・丸の内のコットンクラブでライブを行います。ジャズピアニストのクリヤ・マコトさんをはじめ、さまざまなジャンルのトランペット、ギター、パーカッションの奏者たちと共演する予定です。
「みなさん、コロナ禍の2年ぐらいの間に出会った方たちです。クリヤ・マコトさんのピアノは素晴らしくて、歌っていると、歌がどんどん変わってくるんです。当然ジャズも入れるし、演歌ももちろん歌うし、ラテンも歌いたいし、いろんなことができると思うので楽しみです」
今年、音響メーカー「フィリップスオーディオ」の新製品のWEB CMに起用されました。「We Respect Challenging Artist」というテーマの企画で、オリジナル曲「泣き上手」を、日本語、中国語、韓国語の3カ国語で歌う映像が、8月下旬から公開されています。
「私たちのような演歌を歌う歌手がCMに起用されることは、それほど多くはありません。でも今回は、『挑戦するアーティストをリスペクトします。フィリップス』というテーマのCMで、いろんな国の言葉で自分の音楽を発信しようとしている、ということで私にお話をいただいたようです。とてもありがたいことだと思っています」
神野さんは1999年に韓国でも歌手デビューしました。また、YouTubeで公開されている神野さんの演歌には、中国語や韓国語、英語のコメントが多く見られます。中には、1500万回近く再生されている曲のコメントの大半が中国語圏、というものも。
「なぜ見てくれているのかはわからないけど、見られていることは間違いないから、中国語や韓国語で歌って発信すれば、私の将来が少し変わっていくんじゃないか。そういう発想で『泣き上手』を3カ国語でレコーディングしたんですけど、それをCMに使っていただいたので、思ったときにすぐ動くことは大事だと実感しました。これからはアジアでもっと活動を広げていくことも視野に入れています」
「いろんな場所で歌いたい」
神野さんは今年57歳になりました。今考える「自分らしさ」とは何でしょうか。
「自分らしく、わたしらしく生きるということは、自分勝手に生きることではなくて、『らしく』はそれぞれに違うと思うんですね。仕事柄、このシチュエーションでの自分らしさとは何か、と考える機会が多いんです。例えば今日なら、ジャケットをきちっと着ることが私らしさかな。でも、自然でいることは難しい。いつも自分と向き合っていないといけないし、自分で自分のことをちゃんと認めてあげながら、そのときにふさわしい自分でいることがすごく大事だと思う。ただ、基本はなかなか変わらないので、すごく正直でまっすぐなのが自分らしさだとは思っています」
「何事も全てバランスが大事です。例えば、治療でも薬の使いすぎは良くない。薬の組み合わせ次第でバランスが良くもなるし、最悪にもなる。その感覚が頼りですね。『自分らしさ』は基本的にバランス感覚が大事だと思います」
これから神野さんがやりたいことは何でしょうか。
「いろんな場所で、ジャンルにとらわれず、歌っていられたらいいな、と思います。劇場やコンサートホールが、私たち演歌を歌ってきた者にとっては一つの決まり事みたいになっているけれど、場所のこだわりはあまりないですね。これから、どんな場所で歌っていけるかが楽しみ。私から歌うことをとったらたいした取りえはないですよ。今までそれしかやってきていないし、何より歌うことが好きだから、今はやっぱり、健康第一で歌い続けたいと思います」
神野美伽さんには2018年に初めてインタビューしました。19年、20年と3年続けて取材する中で、体のさまざまなアクシデントにも負けず、そのたびに厳しいリハビリを重ねて復帰してきたことを知りました。今年6月の中野サンプラザ公演では、少し前まで全く歩けなかったはずなのに、そんなそぶりを全く見せず、力強く歌う神野さんを見て、「本当に良かった」と胸がいっぱいになりました。いつも決して諦めない、不死鳥のような神野さんですが、休めるときはゆっくり休んで、長く歌い続けてほしいと、心から願っています。
取材&文=朝日新聞社 Aging Gracefullyプロジェクトリーダー 坂本真子
写真=山本倫子撮影
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◆「神野美伽 ―ONE NIGHT PREMIUM ’22―」
11月25日(金)、コットンクラブ(東京・丸の内)にて。
1stステージ 開場15:45 開演16:45
2ndステージ 開場18:30 開演19:30
神野美伽 (vo)/クリヤ・マコト (p)/竹中俊二 (g)/ルイス・バジェ (tp)/岡部洋一 (per)
テーブル席 1万円詳細は、http://www.cottonclubjapan.co.jp/jp/sp/artists/mika-shinno/
◆シングル「旅立つ朝(あした)」
1.旅立つ朝
2.明日に生きる女
3.テネシーワルツ
1500円(税込み)◆神野美伽オフィシャルサイト https://shinno-mika.com/
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Aging Gracefullyプロジェクト事務局:agproject@asahi.com