坂本真子の『音楽魂』
神野美伽さんインタビュー〈前編〉
NYに行って確信した「演歌は自分の個性」
可能性を追い続け、自力で未来を切り開く
Special 音楽 ライフスタイル
[ 22.10.05 ]
最近、音楽を聴いていますか。
振り返れば、あなたにもきっと、歌やメロディーに励まされ、癒やされた思い出があるはず。40代、50代になっても、これからもずっと音楽と一緒に過ごせますように。
そんな願いを込めて、子どもの頃から合唱曲やロックを歌い、仕事でも関わってきたAging Gracefullyプロジェクトリーダーの坂本が、音楽の話をお届けします。
演歌歌手の神野美伽さん。テレビの歌番組では着物姿で演歌を熱唱する一方で、国内外のロックフェスに参加し、米NYのジャズクラブで歌い、コロナ禍では自宅からYouTube配信するなど、活動の場を自ら切り開いてきました。11月25日には東京・丸の内のコットンクラブでライブを行う予定です。神野さんがいま感じていること、音楽への思いなどを聞きました。インタビュー前編では、江利チエミさんや演歌への思い、コロナ禍で感じたことを語ります。
今年6月、神野さんは「旅立つ朝(あした)」「明日に生きる女」「テネシーワルツ」の3曲を収録したCDを発表しました。いずれも昭和の大スター、歌手で俳優の故・江利チエミさんが歌った曲です。同じレコード会社に所属していたことから、没後40年の節目に、神野さんがカバーしました。
「旅立つ朝」「明日に生きる女」を作曲した村井邦彦さんは、YMOや松任谷由実さん、カシオペアなどを世に送り出したプロデューサーで作曲家です。「旅立つ朝」はちょっと懐かしい雰囲気のポップな昭和歌謡で、「明日に生きる女」は愛する人と別れて人生をやり直す女性を描いた歌。この2曲をA・B面に収録したレコードは1971年に発売されました。同じ年、江利さんは俳優の高倉健さんとの離婚を発表しています。
「1971年に私は6歳だったので、リアルタイムでは知らないんですけど、この頃の江利さんは、実は人生最大のピンチだったと思います。大変な金銭トラブルを抱えてしまって、高倉健さんとの離婚を決意した頃に発表した作品。『明日に生きる女』の歌詞は、作詞家が江利さんにエールを送ったのでは、と想像しています」
この作品は、米ロサンゼルスで録音されました。
「プライベートがとても大変なときに、江利さんはロサンゼルスに行って、当時サイモン&ガーファンクルや映画音楽でヒット作品を連発していたジミー・ハスケルにオファーして、彼のアレンジで、有名なミュージシャンたちを集めてレコーディングしているんです。今だったら逆にハードルが高くてなかなかできないようなことを実現させた、江利チエミさんというアーティストのバイタリティーのすごさを感じます」
危機感が原動力に
そう語る神野さんの行動力も、江利さんに負けてはいません。
神野さんは1984年、18歳で演歌歌手としてデビューし、「男船」や「浪花そだち」「浮雲ふたり」がヒットしてNHK紅白歌合戦に出演。座長公演も任されて演歌の王道を歩む中、観客の大半が70代以上で、自分と同世代がいないことに、ふと、不安を感じました。15年ほど前のことです。
そして2014年、米ニューヨークへ。ライブハウスやジャズクラブにCDやDVDを渡して交渉し、ことごとく断られる中で、オーナーの前座で15分間、という条件で1軒だけOKが出ました。「リンゴ追分」など数曲を夢中で歌って拍手喝采を浴び、その後は定期的にニューヨークで歌うようになります。
「私がイメージする演歌はもっと自由で、もっと突き抜けていて、もっとかっこよくて、もっと気持ちいいものなのに、なぜ表現できないのか。海外に出たらもっと可能性が広がるのでは、と思って米国に行ったんです」
また、神野さんはニューヨーク在住のジャズピアニスト、大江千里さんとSNSでつながり、大江さんに託したライブ音源が ジャズボーカルの巨匠、マンハッタン・トランスファーのジャニス・シーゲルさんの手に渡ります。ジャニスさんの自宅に招かれた神野さんは、一緒に「リンゴ追分」を歌って意気投合。2018年のアルバム「夢のカタチ」でジャニスさんと共演し、コロナ禍の2020年夏には、ジャニスさんがライブハウス支援のため、ミュージシャンたちに呼びかけて配信した「Vocal Gumbo」に出演しました。
一方、日本国内では、神野さんは2015年からさまざまなミュージシャンたちと組んでジャズ系のライブハウスで歌うように。2016年には、ロックフェスの「オハラ☆ブレイク」「アラバキロックフェス」のプロデューサーから「フェスで歌ってみない? 演歌をガンガンやって」と依頼され、ロックバンドTHE COLLECTORSのギター、古市コータローさんを紹介されます。そして、コータローさん、The Birthdayのドラムス、クハラカズユキさんと3人で、主にフェスで演歌を歌ってきました。
2018年春には、米国で最大級の音楽や映画のフェス「SXSW」(サウス・バイ・サウスウェスト)に出演し、演歌を歌っています。
神野さんは自力で道を切り開き、活動の場を広げてきました。しかし、その前に立ちはだかったのは、コロナ禍でした。
コロナ禍で、音楽のライブやイベントは大きな打撃を受けました。中でも、高齢者が主なファン層である演歌は、催しを開催できない時期が長く続きました。演歌のCDは以前からコンサート会場で多く売られてきましたが、その公演自体がなくなったことでCDの売り上げが激減。また、コロナ不況でCD店の閉店も相次ぎ、高齢の演歌ファンがCDを購入しにくい状況になりました。
「テネシーワルツ」を歌って
「旅立つ朝」のCDには、江利チエミさんのデビュー曲だった「テネシーワルツ」も収録されています。「私の意思でもう1曲入れられるならこの曲を」と、神野さんが希望しました。
「コロナ禍で演歌のコンサートや劇場公演がピタっと止まってしまったとき、私が実際に観客の前で歌えたのは、ジャズやラテンの方々から誘ってもらって、ゲストボーカルという形で歌う機会を与えていただいたときだけだった時期がありました。ジャズのビッグバンドと共演した際に、誰もが知っているスタンダード曲を、ということで『テネシーワルツ』を歌い始めて、改めていい歌だなぁと思ったんです」
コロナ禍以降に神野さんと共演する機会が増えたラテン音楽のビッグバンド「東京キューバンボーイズ」は、実は昔、江利さんの専属バンドでした。当時を知るメンバーが一人だけ残っていて、江利さんのことを今でも「ちいちゃん」と呼ぶそうです。
「江利さんが歌う『テネシーワルツ』は、英語と英語の間に歌われる日本語の歌詞がすごくきれい。外国曲を日本語と英語のチャンポンにして、日本語と英語を巧みに切り替えて歌うのが江利さんのスタイルなんですね」
江利さんは子どもの頃から進駐軍のキャンプでジャズを歌っていたことが知られています。
「日本が戦争に負けて進駐軍のキャンプがあったから、ジャズやラテンの音楽が日本に根付いたと思うし、10代の女の子がキャンプを回って、生きていくために英語で歌ったことで成長していった。江利チエミさんはある意味、時代が作ったアーティストだと思うんです。ジャズシンガーのエラ・フィッツジェラルドと交流があったそうですが、エラのことを大好きだったと思います。江利さんが得意なスキャットは、エラそのもの。私もエラは大好きなので、江利さんが歌うジャズを聴くと、彼女がどれだけエラを尊敬していたのか、わかる気がします」
神野さんにとって「テネシーワルツ」は、コロナ禍になったから出会った曲ともいえます。
一方、コロナ禍を機に、神野さんは、ピアニストの小原孝さんと二人でYouTube配信を始めました。「お家de音楽会」と題して毎回1曲ずつ、神野さんの自宅で二人が演奏しながら解説する、という企画です。演歌、ポップス、シャンソン、歌謡曲などさまざまなジャンルの歌を選び、これまでに70本以上を配信。「テネシーワルツ」も公開しています。
「小原さんとはお互いが20代の頃に知り合って、コロナで二人とも演奏する場がなくなっちゃった。いくらトレーニングしても、やっぱり私たちは本番の舞台にいないとダメなんだと痛感したんです。小原さんが毎回うちに来てくださることに甘えて、続けてきました。渦中にいたときは気づかなかったけれど、コロナ禍になって2年以上過ぎて、振り返ると、すごくいろいろなジャンルの人たちと逆に会えたなぁ、と思いますね」
「歌手として幸せなこと」
コロナ禍における演歌の苦境を、神野さんは冷静に受け止めています。
「演歌というジャンルに関して、私自身はずいぶん昔から、先細り感や閉塞感をものすごく懸念していたけれど、コロナで一気にその結果が出てしまったように感じています。そんなときに57歳になり、40年近く歌ってきた私が、まだまだ可能性や夢を追いかけられる。今、自分の中に歌があって音楽があり、楽しめることは、歌手としてすごく幸せなことだと思っています」
そして、演歌を歌ってきたことをプラスにとらえています。
「演歌というジャンルを逆手にとって、これが私の個性だと、最初にニューヨークへ行ったときに確信しました。ジャズのアーティストの方たちと次々に出会って、彼女たちが、私が歌う歌を高く評価してくれる。そんな夢みたいなことは、自分が動いたからつながっているし、次への活力になっています。日本国内では、演歌でスタートしていることが足かせになると思うこともあります。着物を着てテレビで演歌を歌うことが普通のイメージなので、もっと違う活動をしたくても、日本では難しいと痛感しています。でも、もっと可能性を求めたら、演歌を持っていることは一つの強みかもしれない、という発想の転換です。生まれもった性格だと思うけど、何かを感じたらすぐ動きたい、やりたい、試したい、見たい、会いたい、聞きたい。それがすごく強いから、今を楽しめている、という実感がすごくあります」
福島・猪苗代湖畔で開催されるロックフェス「オハラ☆ブレイク ’22秋」に、神野さんは今年も出演します。10月9日の「祝!72 仲井戸“CHABO”麗市 湖畔の誕生会」というプログラムで歌う予定です。
「私が歌う場所を変えていけば、聞いてくれる人が増える可能性がある。『オハラ☆ブレイク』に行って、コータローさんたちと共演して、『また来年も来てください』と言われることが、私の可能性を、歌う時間を少し長くしてくれていると思います。その分、自分も勉強しなきゃいけないと思っています」
一方、コロナ禍でYouTube配信などをしてきたことで、意識の変化も生まれました。
「またニューヨークに行けたらいいな、と思っています。でも、ニューヨークに行ってジャズクラブで歌うことには、それほどこだわらなくてもいいのかな、と考えが変わってきました。ニューヨークで吸った空気や、人との出会いは、向こうに行かないとわからないことだけど、コロナで海外に行けなくなって、日本にいながらでもオンラインで発信できることがよくわかったので、違う仕事のやり方があることをコロナで学びました。リアルな体験があった上で、今、オンラインでできることがある。おもしろいですよね」
取材&文=朝日新聞社 Aging Gracefullyプロジェクトリーダー 坂本真子
写真=山本倫子撮影
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◆「神野美伽 ―ONE NIGHT PREMIUM ’22―」
11月25日(金)、コットンクラブ(東京・丸の内)にて。
1stステージ 開場15:45 開演16:45
2ndステージ 開場18:30 開演19:30
神野美伽 (vo)/クリヤ・マコト (p)/竹中俊二 (g)/ルイス・バジェ (tp)/岡部洋一 (per)
テーブル席 1万円詳細は、http://www.cottonclubjapan.co.jp/jp/sp/artists/mika-shinno/
◆シングル「旅立つ朝(あした)」
1.旅立つ朝
2.明日に生きる女
3.テネシーワルツ
1500円(税込み)◆「オハラ☆ブレイク ‘22秋」公式サイト
◆神野美伽オフィシャルサイト https://shinno-mika.com/
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Aging Gracefullyプロジェクト事務局:agproject@asahi.com