坂本真子の『音楽魂』
岡村孝子さんインタビュー〈後編〉
全ての曲はここまで歩いてきた自分の絵日記
コンサートで伝えたい「今年も会えてよかった」
Special 音楽 ライフスタイル ヘルスケア
[ 22.08.03 ]
最近、音楽を聴いていますか。
振り返れば、あなたにもきっと、歌やメロディーに励まされ、癒やされた思い出があるはず。40代、50代になっても、これからもずっと音楽と一緒に過ごせますように。
そんな願いを込めて、子どもの頃から合唱曲やロックを歌い、仕事でも関わってきたAging Gracefullyプロジェクトリーダーの坂本が、音楽の話をお届けします。
シンガー・ソングライターの岡村孝子さん(60)は、ソロデビューから36年余り。女性デュオ「あみん」でデビューし、「待つわ」が大ヒットしてから今年で40年になります。2019年春に急性骨髄性白血病と診断されましたが、およそ5カ月間の入院と、その後の休養を経て、2021年9月に復帰コンサートを開催。今年12月には東京、名古屋、大阪でライブを行う予定です。そんな岡村さんがいま感じていること、音楽への思いなどを聞きました。インタビュー後編では、音楽への思いや、これからめざすことについて語ります。
岡村さんは1982年7月に「あみん」でデビューした後、85年10月にソロデビュー。これまでに30枚以上のシングルや、18枚のオリジナルアルバムなどを発表しています。その中でも、5枚目のシングルとして1987年2月に発表し、彼女の代表曲になった「夢をあきらめないで」の存在は、とても大きかったと言います。
「『夢をあきらめないで』は、24~25歳の頃に書いて、一人歩きをたくましく続けてくれている曲です。私自身も最初はハラハラしながら見ていたんですけど、何度も楽しい景色を見せてもらいました。一気に大勢に聴かれたわけではなく、徐々に徐々に広がって、結果的にたくさんの方に聴いていただいたんですけど、スポーツの場面や予備校のCMなど、自分の作った失恋ソングとは全然違う応援歌としてとらえていただいて、人によって受け止め方が違うことを最初に教えてもらった曲ですし、最近はアフラックのCMに出演した際に弾き語りも披露させていただいて、本当にいろいろな景色を見させてもらいました」
「どのアルバムも、どの曲も、絵日記のようなもの」と語る岡村さん。「あのアルバムのあの曲は、何歳のあのときだった」と思い出せるそうです。
そんな彼女が、作詞作曲の際に心がけていることは何でしょうか。
「自分があまり感じない言葉は使いません。だから逆に、同じ言葉がよく出てくるので、それを避けよう避けようと頑張ったときもあります。でも、例えば夢に出てくるなどして自然に浮かんだものは、ほかの言葉に置き換えたとしても、コンサートで間違えて元のものを歌ってしまったこともあるので、最近は、自然に出てきたものは使っちゃおうかな、と考えています。メロディーは、例えば散歩していて浮かんだものをなんとなく覚えていて、一晩寝て、それでも覚えていたら録音しようかな、という感じです。なるべく最初はキーボードを使わないで、コードをつけるときに初めてピアノを触るようにしています」
「これからはゆっくり過ごせたら」
岡村さんの作品には、命や生きること、人生をテーマにした歌がたくさんあります。2021年の復帰コンサートの1曲目で演奏された「四つ葉のクローバー」は、2006年発表の同名アルバムの1曲目に収録された曲で、支えてくれる存在への感謝の気持ちなど、「女神の微笑み」にも通じる思いを歌っています。
「『小川のせせらぎ/鳥たちのさえずりも/すべてが生きてる』という言葉を入れたんですけど、ちょうど父が孤独を感じながら病気と闘っていたので、寄り添っていけたら、と思って書いた曲でした」
同じ復帰コンサートで、岡村さんが「人生の秋を描いた曲です」と紹介したのは、「金色の陽ざし」。入院直後の2019年5月に発表されたアルバム「fierte」(フィエルテ)の1曲目で、共に人生を歩んできた人への感謝などを歌った作品です。
「『金色の陽ざし』を書いたのは57歳の頃で、寝ても疲れがとれないとか、あちこちがちょっと傷んできているのかな、と思っていたときです。人生の折り返し地点に来て、これからは景色を楽しみながら、風を感じながら、会話も楽しみながらゆっくりゆっくり過ごしていけたらいいな、と考えて、そういうことも歌っていこうかな、と。今まで歩いてきて、間違ったり、転んだり、つまずいたりしてきたけど、ここまで来られた。そういう自分も好きかな、と言えるようになった時期だったんですね。以前にも同じようなことを思った瞬間はありましたが、30代で言うよりも40代で、40代で言うよりも50代や60代の方が、自分の中で説得力があるし、いろいろなことを見たり時間を重ねたりした分、違和感なく歌えるようになった気がします」
新曲「女神の微笑み」の詞を書いたのは、退院した翌年、2020年の年末でした。
「あの頃はまだ、生きているところと、死に近いところとの間に自分がいたんじゃないかな、と思います。今そこを表現しろと言われてもなかなか難しくて、あのときにしか書けなかった曲ですね。本当に感謝の気持ちを伝えたいと思っていたので、普段なら少しおおげさと感じるような言葉も、事実として恥ずかしくなく言えるかな、と。小さな臍帯血(さいたいけつ)のおかげで、年を越せなかったかもしれない命を今日までつないでもらえているし、心に映ったことを言葉や歌に変えて伝える機会を与えていただいているので、たくさんのリスナーさんや医療関係者の方、スタッフや家族を含めて、私を支え、励ましてくれた方々に向けて書きました」
この曲は2021年の復帰コンサートで披露されました。
「私はいつも、作った曲をライブで歌って初めて完結するんです。『女神の微笑み』も、詞を書いたときに抱いたイメージがあって、ミュージックビデオを制作する際に、私が思っていた通りのものをディレクターさんが作ってくださって、それをステージで歌ったときに、生きた歌になったと感じました」
出産と育児が大きな転機に
女性にとって40代、50代は、さまざまな体調の変化に見舞われ、家族や仕事との関わり方も変わってくる年代です。
岡村さん自身はまず、35歳で出産したことが大きな転換点だったと言います。
「20代の頃は、レコーディングに集中して何カ月もスタジオにこもったり、朝7時頃まで曲を書いて夕方まで寝たり、というやり方をしていた時期もありました。2日徹夜しても平気で生番組で歌っていたのが、30代以降は1日寝ないと肌がガサガサになるようになって。35歳で育児を始めてからは、すき間の時間に曲を作るようになりました。娘の友達のお母さんたちを通じて見える社会が、それまで私が見てきた世界とは全く違ったので、40代、50代は驚きの連続でしたね」
一方、出産後の体調不良がきっかけで、甲状腺の機能が低下する橋本病であることがわかりました。
「出産した直後から、めまいがしたり、フワッとしたりして、おかしいということで検査をして見つかったんです。女性の更年期と症状が似ていて、わかりにくいそうです。抗がん剤治療の後も、今も、めまいはずっと続いている感覚があります」
そして、57歳の春、急性骨髄性白血病と診断され、約5カ月間の入院を余儀なくされました。
臍帯血の移植を受けた人は、GVHD(移植片対宿主病=いしょくへんたいしゅくしゅびょう)と呼ばれる合併症(ドナー由来のリンパ球が正常な臓器を異物とみなして攻撃するもの)が起きることがあります。岡村さんは移植後にGVHDが皮膚に出て、アレルギーのような状態が今も続いています。
「もともと体調が悪くても、『疲れた』『つらい』と言うだけで乗り切ってしまうことが多かったんです。健康診断はあまり受けていなかったので、そろそろまずいかなと思って、50代に入ってから人間ドックを受けるようになったんですけど、行くのが面倒で時間が空いてしまったこともありました。女性の乳がんや子宮がんは早く見つかる方がいろいろな選択肢があると思うし、私の急性骨髄性白血病も健診で見つかったので、定期的に検査を受けることは大切だと実感しています」
「元気なうちは歌おう」
岡村さんに、これから歌いたいことについて尋ねました。
「生きているだけで幸せ、という思いがベースにあるので、今はわりとポジティブに、明るい曲を作ってみようかな、と思っています。病気になる前は『のどがとても丈夫なので、88歳までは歌えます』とボイスセンターの先生に言われていて、88歳までは現役でいるつもりでしたが、今は、自分の時間を持ちたいときが来たら、そうするかもしれないし、特に何も決めずに、元気なうちは歌おう、と思っています」
2021年は復帰コンサート1本、今年は5~6月に「T’s GARDEN」のコンサートを2本行いました。次は12月に「Christmas Picnic」のコンサートを東京、名古屋、大阪の3都市で開催予定です。
「コンサートに来てくださる方は、同じ時代を一緒に歩いてきた同世代の方々が多いので、みんなどこか体に痛いところがあったり、日々いろいろな壁があったり、大変な経験をされたりしている方が多いと思うんです。『T’s GARDEN』や『Christmas Picnic』のように毎年続けているコンサートは、『お互い頑張って今年もここで会えてよかったね。来年も頑張りましょう』という、生存確認をするような場所で、それがまたすごく楽しい。私も元気に歌っていきたいし、みなさんとも次のコンサートで『ここまで頑張ってこられてよかったね。またこれから頑張ろうね』と伝え合えたらいいなぁ、と思います」
そして、いつかはコンサートツアーで全国を回りたい、と考えています。
「この2年は体調を見ながら手探りの状態だったので、これからもちょっとずつ体力をつけて、やっていけたらいいかな、と思っています。『過労だけは気をつけてください』と血液内科の先生に言われたので、そこは注意して、最近は1日4千~5千歩ぐらい歩いても大丈夫になってきたので、いずれ体力がついて体調が整ったら、自分の歌を伝えに、コンサートツアーに出かけたいですね」
中学生の頃、クラスのみんなで「待つわ」を歌った世代です。社会人になってからは「夢をあきらめないで」が応援歌でした。インタビューはZoomで行いましたが、5月のコンサートでは、笑顔で歌う岡村さんを実際に見ることができて、とてもうれしかったです。これからも長く歌い続けていただけることを心から願っています。
取材&文=朝日新聞社 Aging Gracefullyプロジェクトリーダー 坂本真子
写真=コットンフィールズ提供(ライブ写真は2021年9月7日、東京・LINE CUBE SHIBUYAで撮影)
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◆OKAMURA TAKAKO Special Live 2022 “ Christmas Picnic ”
2022年12月 3日(土) 東京・LINE CUBE SHIBUYA
2022年12月11日(日) 愛知・日本特殊陶業市民会館ビレッジホール
2022年12月24日(土) 大阪・サンケイホールブリーゼ
詳細は、https://okamuratakako.com/?p=37815◆「ENCORE IX」Blu-ray
『ソロデビュー35周年記念&復帰コンサート2021“Hello Again !”』(2021年9月7日 、東京・LINE CUBE SHIBUYA)を収録した6年ぶりの映像作品を発売中(税込み5500円)。岡村孝子オフィシャルサイト https://okamuratakako.com/
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