AG世代がいちばん話したいこと
「がん抑制遺伝子の働きを明らかにしたい」
地道な研究も、新たな発見が全ての原動力に
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[ 23.07.26 ]
国立がん研究センター研究所(東京都中央区)で基礎腫瘍(しゅよう)学ユニットの独立ユニット長を務める大木理恵子さん(53)は、がんを抑制する遺伝子の働きを解明することをめざして研究を進めています。独立ユニット長は大学でいうと独立准教授の立場で、大木さんは同センターで数少ない女性の研究室主宰者です。がんという複雑な病気と向き合う大木さんに、研究の具体的な内容や、そこに賭ける思いを聞きました。
――最初に、今どんな研究をしているのかを教えてください。
「p53」という、とても大事ながん抑制遺伝子の研究をしています。「p53」という名前は、もともと53キロダルトンのたんぱく質、プロテインという意味。ダルトンはたんぱく質の大きさの単位です。そのp53の研究を博士課程の後、ポスドクのときからやっていて、がんセンターの先生に評価していただいて、今に至ります。
p53は、人間が必ず持っている大事な遺伝子です。体内で異常が起きてしまったときに修復したり、本当にダメだと思ったらそれを除去したり、という働きをしていて、与えられたダメージの大きさによって修復するか除去するかを決めています。生体の恒常性の維持には絶対に必要で、この遺伝子がないと非常にがんになりやすくなってしまいます。
――この遺伝子がないと、がんになってしまうのですか?
ヒトのがんの二つに一つは、この遺伝子に異常があって、働かなくなっていると言われています。これは唯一無二の高さで、これほど異常の頻度が高い遺伝子はありません。p53が異常になることとがんになることは、密接に関連しています。
私の研究は、このがん抑制遺伝子p53がどうやってがん抑制の働きをしているかを明らかにするというものです。最近は研究が進んでいて、p53にはがん抑制の働きもあるけれど、ときと場合によってはがん化を促進してしまう面もあるんじゃないかと考えています。そういう知られざるp53の機能を明らかにすることが、私の研究のテーマです。
p53は司令塔みたいな役割で、いろいろな遺伝子に「働きなさい」と命令する立場なんですね。例えば、ダメージがひどくて取り除かなきゃいけないときは、細胞死を引き起こすような遺伝子を誘導する。ダメージを治すときは、異常のある状態で増えないように、細胞の増殖をいったん停止した上で、DNAを修復したり、ストレスから回復する遺伝子を働かせたりして元の正常な状態に戻してやる、修復・回復の働きがあります。近年、私たちを含めて世界のいくつかのグループの研究により、p53のこの修復・回復の機能が、実はがん細胞の中でも働いてしまうことがあって、がん細胞の修復・回復に利用されているかもしれない、ということがわかってきました。
先ほど、二つに一つのがんはp53に異常があると言いましたが、言い換えると、残り半分はp53に異常がありません。p53の遺伝子異常は、肺がんや大腸がんでは半分以上、膵臓(すいぞう)がんでは100%近く起きているけれど、例えば、腎がんや肝臓がんはp53にあまり異常がない。なぜ異常がないのかはわかっていませんが、p53遺伝子異常の頻度が低いがんでは、p53を利用してがん化が促進されているんじゃないか、という仮説を立てていて、それも私の研究の大きなテーマの一つになっています。
p53は、世界中で最も多くの研究者が研究している遺伝子と言われていて、発見されてもう45年ぐらい経ちますが、まだわかっていないことがあります。がんはとても複雑な病気なので、たくさんの研究者が取り組んでいて、まだまだ研究が必要です。Aging Gracefully世代の方々や、そのお子さんたちにも興味を持っていただいて、がん研究の世界に入ってきてほしいと思っています。
1冊の本で人生が変わった
――大木さんが今の道に進んだ理由を教えてください。
私は両親とも研究者で、父はこのがんセンターで研究を、母親は大学で大腸菌を研究していました。中学高校の頃は反抗期で、絶対に親と同じことをやりたくないと思って、文系と理系を合わせて3校の大学を受けたんですが、唯一受かったのが早稲田大学の生物学科。生物を選んだのは、親が家で研究の話をするのを聞きかじって、面白そうだと思っていたからかもしれません。
大学3年になって、就職活動をどうするかを考え始めた頃、「細胞の分子生物学」という教科書にであいました。早大の教授も執筆を手伝って、「今なら安く買えるから欲しい人はいますか」と学生に聞いてくれて、2万円ぐらいの本が半額でした。私ももう少しちゃんと勉強した方がいいと思っていたので、本を買ってみたんです。そして、読んだらハマってしまって。結局就職活動はせず、電話帳みたいに分厚い「細胞の分子生物学」を完全に理解するまで読んで、東大の大学院に進みました。
――何にそんなにハマったんでしょう?
高校までは、生物といえば暗記科目の要素が大きくて、勉強していて面白いと思ったことがほとんどなかったんですけど、「細胞の分子生物学」では、細胞の成り立ちや生き物について全てが論理的に説明されていることがすごく新鮮で、面白かったんです。
例えば、遺伝子情報を担うDNAと、DNAの遺伝子情報にもとづいてたんぱく質合成に関わるRNA。DNA 、RNA、たんぱく質が組み合わさることで細胞ができあがる。ちゃんと全部説明できることがとても面白いと思いました。とはいえ、まだまだわかっていないことが多いので、大学院で研究してみたいと思いました。1冊の本で人生が変わったんです。この本にであっていなかったら、今ここにいないかもしれません。私だけじゃなく、世界中で多くの研究者が影響された本だと思います。
大学院の修士課程で、もうちょっと研究したいと思ったので博士課程に進みました。博士課程の途中で研究者になりたいと思って、博士の後は東大医学部の研究室でポスドクをやり、その後は東工大の研究室でポスドクをやりました。そして、「がんセンターの研究員の職があるけど、応募してみないか」と言われて応募したら受かり、今に至ります。
「研究費を取るのが大変」
――なぜ、がんの研究をするようになったんですか?
もともと全身のすべての細胞は全く同じ遺伝子を持っていると思われていましたが、実はそうではなくて、免疫系の細胞では遺伝子が変わっていることを利根川進先生が発見して、1987年にノーベル賞を受賞しました。その影響を受けて、免疫と同じぐらい複雑な仕組みの脳でも遺伝子の組み換えが起きているのではないか、と考えた人たちがいました。それがすごく面白かったんですが、私が大学院で研究を始める頃には、この証明は難しいという話になっていて、一方で正常な細胞とがんの細胞では遺伝子が変わっていることがわかってきたので、がん細胞で変わった遺伝子の異常を見つけ出そう、という方向に変わりました。当時の先生の助言もあって、がんの研究をするようになったんです。そこから一貫してがんを研究しています。
――大木さんは今、がんセンターでラボを持っていますね。
私が小さなグループで独立させてもらったのは2011年、41歳のときです。名前がつくラボを持たせてもらったのが17年、47歳のときですね。ユニット長は大学でいうと准教授のような立場で、その上が「分野長」です。
ちなみに、私のラボでがんセンターに雇用されているのは私だけです。15人ぐらいメンバーがいて、そのうち半分以上はフルタイム。博士課程を終えた後の研究員は3人で、中国人、エジプト人、インド人です。あとは日本人の学生さんですね。みなさんの人件費は、私が雇用したり奨学金を取ってきたりしています。それが大変です(苦笑)。
――大木さんが人件費を集めるんですか?
ポスドク一人を雇うのに年間600万円ぐらいかかるんですけど、600万円の研究費を取るのは大変なんです。企業の研究費のほか、科学研究費(科研費)助成事業とか、文部科学省や厚生労働省の研究費とか。「AMED」(国立研究開発法人の日本医療研究開発機構)という機関もがんの研究費を出しています。華々しい成果を上げた翌年は必ずといっていいぐらい研究費を取れるけれど、あまり成果がないと取りにくくなります。研究費の倍率はだいたい10倍や20倍。簡単にとれないし、落選することもあります。
希少がんのがん抑制遺伝子を発見
――p53の研究は、がんの治療にはどのように役に立っているのでしょうか?
p53がどういう遺伝子を制御しているか、私たちがスクリーニングした中で見つかった「PHLDA3」という遺伝子があります。p53には、がん遺伝子の活性化を抑えるという働きがあって、p53がPHLDA3に指令を出し、PHLDA3ががん遺伝子の働きを抑えます。がん化が促進しないように抑える働きがあることがわかりました。
さらに調べて、このPHLDA3が神経内分泌腫瘍という希少がんのがん抑制遺伝子であることが明らかになってきました。アップル社の元CEOスティーブ・ジョブズ氏がこの病気で亡くなったことで知られています。いろいろな臓器で発症しますが、ジョブズ氏は膵臓の神経内分泌腫瘍をわずらいました。希少なので研究があまり進んでおらず、良い治療法がないのが現状です。
私たちはこの神経内分泌腫瘍で、ものすごく高頻度で異常が起きている遺伝子がPHLDA3であることを発見しました。膵臓をはじめとしたさまざまな臓器に発症する神経内分泌腫瘍では、p53の遺伝子異常はほとんどありません。でも、p53の下で働いているPHLDA3はなくなっていました。つまり、p53はがんを抑制する遺伝子ですが、神経内分泌腫瘍ではがん抑制にとって大事な、下部のPHLDA3が7割ぐらいの症例で失われていて、このPHLDA3が神経内分泌腫瘍のがん抑制遺伝子であることを、私たちが見つけました。
p53の下部にはがんを抑制する働きの遺伝子もあるけれど、場合によってはがん化を促進する遺伝子もあると、私は考えています。神経内分泌腫瘍ではPHLDA3がなくなっているので、p53はがん化に必要な遺伝子だけに働きかけて、がん化を促進するのではないか、ということです。
――がん化を促進する、というのは良くないことですよね?
良くないことです。でもp53は、がん抑制にとって大事な遺伝子でもあります。例えば、p53がないマウスを作ると、1年以内にほぼ全てのマウスががんになって死にます。私たちは3万個ぐらいの遺伝子を持っているのに、その中のたった1個がないだけで、ほぼ100%のマウスががんで死ぬぐらい、がん抑制にとても大事な遺伝子です。しかし不思議なことに、その遺伝子を持ったままがん化することがある。それには絶対に意味があると考えて研究しています。
PHLDA3 機能がある患者さんと、ない患者さんの予後を比べると、機能がない患者さんの予後が悪いことがわかっています。PHLDA3機能 がない患者さんには、特定のがん遺伝子を抑える抗がん剤を投与すると効果が高くなるのでは、と私は考えています。また、p53に異常がない残りの半数のがんに対して、p53の活性化剤を使うことでがんを治そうという研究をしている人たちもいます。こうした効果を上げるためにも、p53の働きがもっと明らかにされる必要があると思っています。
――研究にはどれくらいの時間がかかるものですか?
p53がPHLDA3を制御していることを最初に見いだしたのは、がんセンターに来て直後の2007年頃です。がん遺伝子を抑制する働きがあることを明らかにして、09年に論文になりました。次に、PHLDA3が膵臓の神経内分泌腫瘍のがん抑制遺伝子であることを発表したのは14年で、このときは5年かかりました。私が一番好きなのは何もないところから生み出す研究なので、時間はかかりますが、頑張って取り組んでいます。
――大木さんが研究する最終的な目標は何でしょう?
神経内分泌腫瘍のようにまだ明らかにされていないことを証明して、実際にp53を利用しているがんがあることも証明したいですね。それが治療につながります。私は今50代前半で、10年ぐらいはあっという間に研究にかかってしまうので、定年までにできたらいいなと思いますし、がんセンターの定年は60歳なので、それも伸びたらいいなと思っています。
今年10月、100人以上を世界中から集めて、p53関連の国際学会を国立がん研究センターの研究所で開催します。p53を発見した人たちは今70~80歳ですがバリバリ現役で、新しい研究成果について発表します。年をとっても精力的に、これまでの経験をもとに、より良い研究をしている人たちもいると思うので、定年を超えても研究し続けられるような制度が日本にもあればいいな、と思います。
「以前研究をしていた方、お子さんも関心あれば」
――大木さんが研究に打ち込む原動力は何でしょうか?
私は結構趣味も多くて、バンドで歌ったり海で遊んだりするのも好きだし、お酒を飲むのも大好き。でも、何よりもやっぱり新しい発見をしたときが最高に面白いんですよね。どんなにスリリングな遊びよりも面白いので、発見の衝撃をまた経験してみたいと思っています。もちろん疲れたりネガティブな気持ちになったりすることもあります。そのときは何日間かお休みを取って、趣味でリフレッシュすると元気になる。またやりたくなって復帰して、研究を続けています。
――大木さんもAging Gracefully世代ですが、40、50代の女性に一番伝えたいことは何ですか?
二つあります。一つめは、昔研究をしていた方、子育てで辞めてしまった方もリスタートしてみませんか、ということです。うちのラボでも、修士課程を出て結婚して辞めた方など、いろいろなみなさんが最初はリハビリ的に少しずつ、でもすぐに慣れて、今はものすごいパワーになっています。
もう一つは、みなさんのお子さんたちに、研究の面白さを知るような機会に参加してもらいたいということです。大学院に行ったり研究者になったりすることに反対するご両親やご家族の方も多いので、お子さんがやりたいのであれば応援するという考え方を持っていただけたら、日本の科学の将来のためにもなると思います。
私のラボも、お子さんと一緒に見学したい方がいらしたら、ぜひご連絡ください。また、9月に行われる癌(がん)学会では、高校生と大学生に向けたイベントをやります。広く一般公募しますので、ご興味がある方は、まずはそのイベントに参加して、がん研究に触れてみていただければと思います。お待ちしています!
- 大木 理恵子(おおき りえこ)さん
- 1970年、埼玉生まれ。早稲田大学教育学部生物学専修卒、東京大学理学系研究科生物化学専攻博士課程修了。東京大学医学部医学系研究科、東京工業大学生命理工学研究科にて、ポスドクとして研究を行う。2002年に国立がん研究センター研究所に入所し、17年から現職(分子生物学、腫瘍学)。
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◆クラウドファンディング【#がん治療の種を育てよう|未来を担う若手研究者にご支援を!】開催中
https://readyfor.jp/projects/jca82young
目標金額は450万円。
7月31日(月)23時終了。
日本癌(がん)学会による、若手がん研究者たちの支援を目的としたクラウドファンディング。
大学院生、大学生、高校生を対象とした下記のイベントを開催します。◇第82回癌学会学術総会「がん研究体験セミナー&若手研究者表彰イベント」
9月21日(木)~23日(土・祝)、パシフィコ横浜で開催。
・高校生・大学生向け がん研究体験セミナー
・若手研究者表彰イベント◆「第10回 国際MDM2ワークショップ」
10月15日~18日、国立がん研究センター研究所(東京・築地)で開催予定。
p53を発見したDavid Lane博士とArnold Levine博士、米国科学アカデミー会員のCarol Prives博士、Gigi Lozano博士、Karen Vousden博士など世界的に著名なp53・MDM2関係の研究者ら、約150名が参加予定。
ワークショップでは、MDM2に関する特別シンポジウを企画。教科書に載っているような発見について、実際の発見者が語ります。◇公式サイト http://10thmdm2.jp/
◆基礎腫瘍学ユニット(大木理恵子さん研究室)ホームページ
40代と50代、Aging Gracefully(=AG)世代の日本の女性たちの生き方は、どんどん多様化しています。最も多いライフコースは「専業主婦」だという調査結果がありますが、それでも4割に満たず、家族の形も働き方もさまざまです。
「AG世代がいちばん話したいこと」は、そんなAG世代の女性たちが、いま最も伝えたいこと、生の声をお届けします。
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