AGサポーターコラム
何にもとらわれず自由に生きた
放浪の天才画家「山下清展」
Special ライフスタイル アート 学び
[ 23.07.19 ]
放浪の天才画家、山下清(1922~71)といえば、ドラマや映画の「裸の大将放浪記」を思い出す人も多いのでは? 丸刈り頭にランニングと半ズボン姿、おむすびが大好きなイメージで知られていますが、本当はどんな人だったのでしょうか。東京・西新宿のSOMPO美術館で開催中の「生誕100年 山下清展―百年目の大回想」を見に行きました。清が49歳で亡くなるまで11年近く同居した、甥(おい)の山下浩さん(62)にも話を聞けました。浩さんは清の弟の辰造さんの長男です。
展覧会では、貼絵(はりえ)、油彩、ペン画、水彩画などの作品約190点のほか、放浪中に使ったリュックサックや浴衣などが展示されています。東京・浅草に生まれた清は、3歳の時に重い消化不良を患いました。その後、吃音(きつおん)と発達障害のため、周囲になじめず、小学校でいじめにあいました。12歳の時に千葉の養護施設「八幡(やわた)学園」に入園します。授業で「ちぎり絵」を習うと、メキメキ上達し、細かくちぎった色紙や、よじってひも状にした「こより」を使った手法で、独自の「貼絵」の世界を作っていきました。
展覧会では、学園時代の10代で取り組んだ初期の貼絵も展示されています。戦争の影響で、色紙が入手しにくい時代は、古い切手やチラシ、包装紙なども使って創作しました。「ともだち」や「栗」(いずれも38年)では古い切手が使われ、切手の柄で陰影や質感、立体感をうまく出しています。「当初、清の絵のモチーフは虫でしたが、次第に友達を描くようになり、人にも関心が広がっていったことが分かります」と浩さん。
18歳の時、清は風呂敷包みを持って、学園を飛び出しました。これが放浪の始まりで、32歳まで断続的に放浪生活が続くのです。のちに鉛筆画で描いた「学園から出かけるところ」(55年)は、風呂敷包みを持ち、窓から飛び降りた清の後ろ姿が描かれています。背中に決意が込められているようでカッコいいです。尾崎豊の「15の夜」ならぬ、清の「18の夜」といったイメージでしょうか。
放浪中は、魚屋やそば屋、弁当屋などに住み込みで働いたこともありました。でも、しばらくすると自由を求め、また飛び出して行きます。職探しをしながら、駅に泊まり、汽車道を歩き、放浪の旅を続けました。食べる物がない時は、茶わんを持って家々を回って、おむすびやご飯などを分けてもらいました。鉛筆画の「袋井で夕飯を貰(もら)っているところ」(54年)にもそうした場面が描かれています。
戦時中や終戦直後の食糧が乏しい時代。困っている人に食べ物を分けてあげた昭和の人たちの優しさにも心がじんわりします。
展覧会では、清が放浪中に使っていたリュックサックや浴衣も展示されています。夏は浴衣、冬は着物を着ることが多かったそうです。使い込んだ古びた茶色のリュックには、2個の茶わん(ご飯用と汁物用)、箸、手ぬぐい、着替え、犬にほえられた時の護身用の石ころ5個が入っていたそうです。
清が20代後半に制作した貼絵の代表作「長岡の花火」(50年)はダイナミックかつ緻密(ちみつ)な作品です。清は、新潟県長岡市で開催された花火大会に49年に行きましたが、制作したのは翌年でした。清は放浪中、基本的には、映画やドラマのように旅先で貼絵やスケッチをしていたのではなく、自宅や学園に戻ってから、驚異的な記憶力で脳裏に焼き付いた風景を思い出して、貼絵にしたのです。開花した花火の部分には、「こより」を使っています。川面に映り込んだ花火や、会場をびっしりと埋め尽くした群衆など、貼絵の細かさと技術に驚かされます。
「1年前の花火でも、この夏に見たように生き生きと描いています。一瞬の輝きを頭に焼き付け、貼絵で再現しています。花火大会の最初から最後までの時間軸も一枚の貼絵におさめているのです」と浩さん。同年に制作された「金町の魚つり」でも、水面に人の洋服の細かい柄まで映り込んでいます。この気が遠くなるような精緻(せいち)な手仕事が、まさに山下清の真骨頂なのでしょう。
56年に清の展覧会が東京の大丸(現・大丸松坂屋百貨店)で開催されると、26日間で約80万人が訪れました。この年に制作した貼絵「グラバー邸」には山下清のサインが入っており、この時期から作品にサインが記入されるようになっていきます。きちょうめんな文字からは、画家としての誇りや自信がうかがわれます。
展覧会では、このほか、貼絵の自画像やヨーロッパ旅行の風景作品、ペン画、陶磁器の味のある絵付け作品など、山下清の独特な世界と懐かしい昭和の時代が堪能できます。特に、ドイツやスイス、フランスなど、ヨーロッパの風景の貼絵は、遠くから見るとまるで油彩のようです。細かい紙片とこよりを駆使して作られ、精緻の極みといえます。
清は、日本で最も大衆に愛されている画家の一人ですが、贋作(がんさく)も出回っていることから、浩さんは、作品と著作権の管理、鑑定に取り組み、清の作品の魅力を後生に伝える活動をしています。「美大も出ておらず、既成の美術教育も受けていなかった伯父は美術界では当初、評価されませんでした。美術館での展覧会の開催も難しく、百貨店の催事として開催されていました。今では美術館でも開催できるようになり、ようやく画家としての評価もあがってきました」と話します。
「伯父にとっての放浪は、各地のきれいな風景を見たかったからなのでしょう。ぼーっとする時間が必要で、何にもとらわれない自由な生き方を大切にしました。忙しい現代、伯父の生き方も展覧会を通して知ってほしいです」と浩さん。
「日本のゴッホ」と言われた清。31歳だった放浪中の清が鹿児島で発見されたという記事が、54年に朝日新聞に掲載された時、清が語った言葉が何とも象徴的です。和服にゲタ、リュック姿でした。「いい景色をみると絵をかきたいと思うこともあったが、ゴッホもルッソーも、そんな人は全然知らない。ルンペンで一生終わるかもしれない」
つまらないプライドや見え、しがらみなど、いろいろなことにがんじがらめになって、身動きがとれなくなっている私。山下清の絵を見て、言葉を味わって、ガチガチのくさびがふっと緩むのを感じました。
紹介作品はすべて山下清作品管理事務所蔵
© Kiyoshi Yamashita / STEPeast 2023
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◆「生誕100年 山下清展―百年目の大回想」(SOMPO美術館、朝日新聞社主催)
9月10日(日)まで。東京・西新宿のSOMPO美術館。
午前10時~午後6時(入館は閉館30分前まで)。毎週月曜休館。
観覧料は一般1400円、大学生1100円、小中高校生無料、障がい者手帳をお持ちの方無料。
お得な事前購入券(一般1300円など)もあり。
日時指定予約は不要。◇公式サイト https://www.sompo-museum.org/exhibitions/2022/yamashitakiyoshi/
- 山根 由起子
- 朝日新聞記者として佐賀、甲府支局を経て、文化部などで演劇や本、アート系の取材を担当。現在はメディア事業本部文化事業2部の主査・ライター。
「アートと演劇をこよなく愛しています」
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