AGサポーターコラム
涼やかな金属に繊細な技、心くすぐる彩り
人間国宝の金工作家「中川 衛」展
Special アート
[ 23.08.23 ]
中川衛さん。中川さんの後列右が自作の象嵌(ぞうがん)朧銀(おぼろぎん)花器「一(はじめ)」、同左は象嵌朧銀花器「空と海」。次世代の作家たちの作品も展示=東京都港区のパナソニック汐留美術館、山根写す
暑さ厳しい折、美術館で涼を感じたいと思う方も多いでしょう。涼やかな風が吹き抜けるような爽快感が得られるぴったりの展覧会があります。金工作家・重要無形文化財「彫金」保持者(人間国宝)の中川衛(まもる)さん(76)の象嵌(ぞうがん)作品を展示している、パナソニック汐留美術館の開館20周年記念展「中川 衛 美しき金工とデザイン」に足を運んでみてはいかがでしょうか。中川さんの作品を中心に、技を受け継ぐ次世代の作品や資料など合わせて約130点が展示されています。
象嵌は、鎚(つち)を鏨(たがね)という工具にカンカン打ち付けながら、金属の表面を彫り、できた溝に金や銀、色金の線や板をはめ込んで模様を作り出す技法です。1ミリ以下の薄い溝に金属をはめ込むのはとても精緻(せいち)な作業です。中でも中川さんは、複数の異なる金属の層を組み合わせて意匠をする難しい「重ね象嵌」を極めています。
シンプルな幾何学模様に加え、記憶の中の風景や日常生活から紡ぎ出した抽象文様をデザインしたモダンな作風が魅力です。中川さんの手にかかると、シャープな冷たい金属にもぬくもりが宿り、きらめく詩情をものがたり始めるので不思議です。
中川さんは7月の内覧会に訪れ、「デザインの中に人の心をくすぐるものを入れていくとすごく面白い物ができる」と話していました。
展覧会で見て、心がくすぐられた作品をいくつか紹介しましょう。
中川衛 象嵌朧銀花器「夕映のイスタンブール」 平成23年 公益財団法人ポーラ伝統文化振興財団 大屋孝雄撮影
トルコのイスタンブールを訪れた時のモスクのある街並みのスケッチをもとにデザインした象嵌朧銀(おぼろぎん)花器「夕映のイスタンブール」。家々の赤い屋根と白い壁のデザインが印象的です。夕焼けにきらめく赤い屋根はさぞ美しかったことでしょう。記憶の中に焼き付いた思い出の結晶を、金属にはめこんでいったのでしょう。
中川衛 上から象嵌朧銀花器「冬模様」「夏模様」「秋模様」 平成16年 個人蔵 大屋孝雄撮影
移りゆく四季の景色を描き出した花器もありました。象嵌朧銀花器「冬模様」は、「犬の散歩中に川の中の石に雪が積もっているのを見て着想した」といいます。与謝蕪村の俳句「菜の花や月は東に日は西に」を思い起こさせるのは、象嵌朧銀花器「春模様」です。
中川衛 象嵌朧銀花器「春模様」 平成16年 個人蔵 大屋孝雄撮影
散歩道で早朝の空に、月と太陽が同時に見える光景に遭遇して、芽吹いた柳をデザインにあしらって作ったそうです。
中川さんは「デザインのヒントはどこにでも存在する」と考え、日常の中にアイデアの種子を見いだしてきたそうです。左右非対称のアンバランスな形状をしている象嵌朧銀花器「水遠山長(みずとおくやまながし)」は、果物の種子に着想を得たそうです。
中川衛 象嵌朧銀花器「水遠山長」 平成20年 金沢市立安江金箔(きんぱく)工芸館 大屋孝雄撮影
中川さんは金沢生まれ。金沢美術工芸大学を卒業後、大阪の松下電工(現パナソニック)で社内デザイナーとして、シェーバーやヘアドライヤーなどの美容家電製品などの商品開発に携わりました。
退社して金沢に帰郷した後、展覧会で江戸時代の鐙(あぶみ)を見て魅了され、加賀象嵌に関心を持つようになりました。27歳の時、彫金家の高橋介州さんに弟子入りし、象嵌制作の修業を始めました。そのルーツの鐙、大小のひらがなの「の」の字があしらわれたしゃれたデザインの「『の』の字文象嵌鐙」(17世紀、江戸時代、加賀本多博物館蔵)も展示されていて興味深いです。
銘 金澤住善左衛門永國作 「の」の字文象嵌鐙 17世紀 江戸時代 加賀本多博物館蔵
影響を受けた中川さんがのちに制作した象嵌朧銀盛器「あいう・・・」はいろいろなひらがなの形を金と銀で象嵌したユニークな作品です。クジャクをかたどった「象嵌朧銀孔雀伏香炉(くじゃくふせこうろ)」は羽の模様を薄さ1ミリ以下の銅、赤銅、金を重ねてはめこんで作り出し、精緻で華やかです。
中川衛 象嵌朧銀盛器「あいう・・・」 平成11年 個人蔵 大屋孝雄撮影
使い込まれた中川さんの象嵌の道具と、その写真も展示されています。鏨は300種類ほど持っているそうです。体の一部のような存在なのかもしれません。「象嵌はいろんな金属を使うので、多彩な色の組み合わせが面白いですね。大変なのは、象嵌の制作は消しゴムで消すことができないこと。金属をはめる溝を彫りすぎてしまってはいけないので、彫ってははめ、彫ってははめて微妙な調整をしながら作業を進めます」と言います。
中川さんは、来年で象嵌を始めてから半世紀になります。「死ぬまで勉強です。失敗しては成功、失敗しては成功の連続でした。新しい技も考えたいですね」。めざすは「草原にいると疲れがとれるように、見る人に癒やしを与えられる作品を作りたい」。
中川衛さんと自作の「象嵌朧銀孔雀伏香炉」=東京都港区のパナソニック汐留美術館、山根写す
日常の中で埋没してしまいそうな様々な種子を見いだし、見事に心をくすぐるデザインに開花させている中川さん。きっと、柳のそよぎやチョウのはばたき、葉のしずくのような、かすかなものにも共鳴するやわらかな心を持っているのだと思います。工房で鏨をカンカンと打つとき、そうした心に刻まれた記憶の風景がよみがえってくるのでしょう。
ふりかえれば、日々の雑事に忙殺されてよどんだグレーの瞳で日常風景を見ている私。それは見ているようで、何も見ていないのと同じかもしれないと思いました。
ビルの谷間にのぞく夕焼けの輝き、通勤途中の神田川にかかる桜の木々、都会の駐車場に寝そべる猫たち……。何げない日常風景に心を震わせる楽しさを教えてくれた展覧会でした。
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◆開館20周年記念展「中川 衛 美しき金工とデザイン」(パナソニック汐留美術館、朝日新聞社主催)
東京都港区のパナソニック汐留美術館、9月18日(月・祝)まで。
午前10時~午後6時(入館は午後5時30分まで)。
9月1日(金)、15日(金)、16日(土)は夜間開館で午後8時まで開館(入館は午後7時30分まで)。
休館日は水曜日(ただし9月13日は開館)。
入館料は一般1200円、65歳以上1100円、大学生・高校生700円、中学生以下無料。
※障がい者手帳をご提示の方、及び付き添い者1人まで無料でご入館いただけます。
※当日入館料金から100円割引になるホームページ割引引き換え券はサイトをご覧下さい。◇詳細は同館サイト https://panasonic.co.jp/ew/museum/exhibition/23/230715/
取材&文&写真=朝日新聞社 山根由起子
- 山根 由起子
- 朝日新聞記者として佐賀、甲府支局を経て、文化部などで演劇や本、アート系の取材を担当。現在はメディア事業本部文化事業2部の主査・ライター。
「アートと演劇をこよなく愛しています」
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